私って恥ずかしい

私って恥ずかしい

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コラム
電車の中で、体格の小さな、眼鏡をかけた男の子が乗ってきた。
その子をぼんやりと眺めていたら、ふと、自分の昔の記憶がブワッと蘇ってきた。

あれは中学生の頃だったか。

制服を着ない土日の電車の中で、「私、なんだか周りの子と比べて格好がズレているんじゃないか……」と、急にいたたまれない気持ちになったことがある。

その居心地の悪さが嫌で、中学生の頃はあまり友達とも遊ばなかった。

しかも、たまにお出かけしたかと思ったら、ものすごい方向音痴だから、出口が沢山ある駅の待ち合わせ場所にたどり着けない。人に聞くこともできなくて、集合時間を大幅に遅れてしまった。本当は迷って迷って、ようやくその場所にたどり着いたのに、もうそこには誰もいなくて。悲しくて情けなくて、本当のことが言えず「体調を崩しちゃって」と嘘をついて謝ったこともある。そんなこともあって、ますます出不精になった

かといって、ファッションを一生懸命勉強して自分を変えよう!とするタイプでもなかった。

あの頃の自分は、一体何をしていたんだろう。

生産性は確実にゼロな毎日を送っていたけれど、じゃあ「何もしない退屈」をのんびり楽しめるわけでもなかった。

なんだかいつも、充実感がなくて、自分がポッカリと欠けていた気がする。

…なんて、私が勝手に過去の傷に浸っていたら、目の前のその男の子は、席に座るなりさっさと携帯を取り出してゲームをし始めた。

それを見て、なんだかその子が羨ましくなった。

ふと周りを見渡せば、大体みんなスマホを片手に自分の世界に入り込んでいる。

誰もが誰かを全然気にしていない。

いや、よく考えたら、あの頃だってきっとみんな「自分の世界」の中で生きていたんだよね。

周りが私をジャッジしていたわけじゃなくて、私が勝手に「こう見られているんだろうな」と自意識過剰になって、一人で恥ずかしがって固まっていただけだったんだよね。

SNSで自分を盛ったり、逆にネットの人間関係に悩んだりする今の時代。

スマホの画面だけを見て、目の前の現実に囚われずに、自分の世界に没頭できるのは、ある意味で幸せなことかもしれない。

でもその一方で、画面ばかりに夢中になって、自分自身の内面に目を向ける時間がないこの世の中は、それはそれで自分を置き去りにしてしまっているかも知れない。

ぼんやりと、何事もバランスだな、と思う。
自意識過剰で生きづらかった昔の私も、目の前でゲームに熱中しているこの子も。
不幸でもあり、その時代なりに守られていて幸せでもある。
すべては、生きている時代のタイミングなんだろうな。
そして、私に与えられたこのタイミングは、私だけのものだしね。

あの頃の恥ずかしい私も、充実感がポッカリと欠けてしまったあの頃の私も、全部ひっくるめて、今のこの私だしね。 

まぁいいか、なんでもいいか。流れに任せようじゃないか、焦らなくたっていいよね、きっとなんとかなるさ。

どうせ誰も見てやしないんだから(笑)あなたも私も、自分のタイミングで。きっと大丈夫。リラックスだ。 さぁ、毎日の日常に戻ろう。


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