【善悪を超えて】聖人が見つめる「心の波」と、誰もが持っていた赤子の輝き

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「あの人は善人だ」「この出来事は悪だ」。
私たちは日々、目の前の人や出来事にラベルを貼り、裁いてしまいがちです。しかし老子は、その二元論の先にある真理を説いています。

善があるから、悪が生まれる

老子は、聖人は善悪を分けず、すべてをあるがままに受け入れると言います。
そもそも「善」という認識があるからこそ、その対極として「悪」が生まれます。これらは表裏一体であり、一方がなければもう一方も存在し得ない、相対的なものに過ぎません。

環境によって揺れ動く「心の性質」

人の心は固定されたものではなく、その時々の縁(環境や出会い)によって、善にも悪にも変化します。

悪の連鎖: 誰かに傷つけられ、悔しさに支配されたとき、心は「悪」へと傾くことがあります。その痛みを他者にぶつけてしまうことで、いじめの連鎖が生まれることもあります。

善の循環: 誰かに褒められ、愛されたとき、心は喜びで満たされ、自然と「善」を行いたくなります。

しかし、これらはすべて「外側の現象」に反応しているだけです。そしてその外側の世界は、実は自分自身の内面の投影に過ぎないのです。

赤ん坊の頃、私たちは皆「善」だった

人の運勢が一生「善」だけ、あるいは「悪」だけで終わることはありません。
私たちは皆、生まれた瞬間は純粋無垢な赤ん坊でした。そこには善も悪もなく、ただ存在そのものが光り輝いていました。その後の環境や出会った人々からの影響によって、心にさまざまな色がついていっただけなのです。

すべてを受け入れる「聖人」の眼差し

この道理を悟っている聖人は、人を裁くことをしません。
善も悪も、その人の背景にある痛みも喜びも、すべてを包み込んで受け入れます。

外の世界に振り回されず、心の色がどう変わろうとも、その奥底にある「赤子の時のような純粋な自分」を思い出すこと。その視点を持つことができれば、私たちの人生はもっと穏やかで、慈愛に満ちたものに変わっていくはずです。
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