もし、たったひとりの頭脳が、何百万人もの命を救ったとしたら・・・
そして、その人の名前が、長いあいだ誰にも知られることがなかったとしたら・・・
今回の窓の向こうに見えるのは、イギリスの数学者、アラン・チューリング博士の物語です。
アラン・チューリング博士
✨✼••┈┈••✼【解読不能】への挑戦✼••┈┈••✼
1939年、第二次世界大戦が始まったとき、イギリスは深刻な問題を抱えていました。
ドイツ軍が使う暗号機【エニグマ】です。
エニグマは、タイプライターのような姿をした機械でした。
キーをひとつ叩くたびに、内部に組み込まれた歯車(ローター)がカチリと回り、文字が別の文字へと姿を変えます。
同じ「A」を二度叩いても、一度目と二度目では違う文字に化ける。
しかも歯車の選び方と並べ方、配線盤のつなぎ方を組み合わせると、設定の総数は実に1垓(いちがい)を超える――1兆の、さらに1億倍という天文学的な数にのぼりました。
エグニマ
そのうえドイツ軍は、この設定を毎日午前零時にすべて変更します。
つまり、たとえ今日の暗号が解けても、日付が変われば振り出しに戻る。
総当たりで調べようとすれば、何億年あっても足りません。
人間が紙と鉛筆で挑んで敵うはずのない、まさに「解読不能」の暗号だったのです。
ドイツ軍自身も、エニグマの安全を最後まで信じて疑いませんでした。
✨✼••┈┈••✼ポーランドからの、秘密の贈り物✼••┈┈••✼
けれど実は、この物語には序章があります。
最初にエニグマに風穴を開けたのは、イギリスではなく、ポーランドの数学者たちでした。
大国ドイツと国境を接するポーランドは、誰よりも早くその脅威を肌で感じていました。
そこでポーランド暗号局は、当時としては画期的なことに、語学の専門家ではなく「数学者」を暗号解読に登用します。
若き数学者マリアン・レイェフスキ氏らは、1930年代はじめという早い段階で、数学の力によってエニグマの内部構造を突き止め、解読を成功させていたのです。
マリアン・レイェフスキ氏
彼らは解読を助ける機械まで考案し、これを「ボンバ」と名づけました。
しかし、ドイツがエニグマを改良して複雑さを増し、祖国への侵攻が目前に迫った1939年7月。
ポーランドは重大な決断をします。
ワルシャワ近郊の秘密の場所にイギリスとフランスの情報将校を招き、10年近くかけて積み上げた解読の成果と複製機を、惜しげもなくすべて手渡したのです。
「私たちの国は持ちこたえられないかもしれない。だが、この知恵は生き延びて、戦いを続けてほしい」――その数週間後、ポーランドはドイツ軍の侵攻を受けました。
イギリスの暗号解読は、この尊い贈り物の上に築かれることになります。
✨✼••┈┈••✼数学者たちが集められた✼••┈┈••✼
贈り物を受け取ったイギリスは、ロンドンの北西にある田舎町の古い館を買い上げ、政府の暗号学校を丸ごと移転させました。
ブレッチリー・パーク――のちに「ステーションX」の暗号名で呼ばれる、国家最高機密の施設です。
現在も当時の面影を残すブレッチリー・パーク
ここでイギリスは、発想を大きく転換します。
それまで暗号解読といえば、古典や語学に通じた文系の教養人の仕事とされてきました。
しかしポーランドの成功が証明したように、機械が生み出す暗号に立ち向かえるのは、数学の頭脳である――。
イギリス政府は開戦前から水面下で動き、オックスフォードとケンブリッジの両大学に密使を送り、優秀な数学者たちにそっと声をかけていきました。
表向きの理由は伏せたまま、「戦争が始まったら、国のために特別な仕事をしてほしい」と。
チューリング博士もそのひとりでした。
開戦の前年にはすでに勧誘を受けて秘密の講習に通っており、1939年9月、イギリスがドイツに宣戦布告したまさにその翌日、ブレッチリー・パークに出頭しています。
国が博士の頭脳を、開戦前から必要としていた証拠でした。
人集めの方法は、ときにユーモラスでもありました。
有名なのは、新聞のクロスワードパズルを使った腕試しです。
デイリー・テレグラフ紙の難解なクロスワードを短時間で解けた読者のもとに、後日そっと手紙が届き、「国家のための仕事に興味はないか」と誘われた――そんな逸話が残っています。
求められたのは学歴や肩書ではなく、パズルを解かずにいられない頭脳と粘り強さだったのです。
こうしてブレッチリー・パークには、数学者、言語学者、チェスのチャンピオン、パズルの達人、そして通信を支える大勢の若い女性たち――国中から集められた異能の人々が続々と集まり、その数は最終的に9,000人近くにまで膨れ上がりました。
全員が固く沈黙を誓い、家族にさえ仕事の内容を明かさぬまま、ここで人知れず戦っていたのです。
✨✼••┈┈••✼若き数学者の答え✼••┈┈••✼
その中心にいたのが、ケンブリッジ大学出身の若き数学者、アラン・チューリング博士でした。当時まだ20代。
人付き合いが苦手で、マグカップを盗まれないように暖房のパイプに鎖でつないでいた、という逸話が残るほどの変わり者だったと伝えられています。
けれど博士の頭の中には、誰も思いつかなかった答えがありました。
「機械が作った暗号は、人間ではなく、機械で破ればいい」。
博士が目をつけたのは、完璧に見えるエニグマの、ほんの小さな癖でした。
エニグマは仕組みの上で、ある文字を「その文字自身」には決して変換できないのです。
加えて、ドイツ軍の几帳面さも味方しました。
毎朝決まった時刻に打電される気象報告など、暗号文の中に「おそらくこう書いてあるはず」と推測できる定型の言葉が潜んでいたのです。
博士はこの手がかりを突破口に、膨大な設定の中から正解の候補を一気に絞り込む理論を組み立てました。
その理論を形にしたのが、ポーランドの「ボンバ」の思想を受け継ぎ、まったく新しい原理で作り直した解読機械「ボンブ」です。
解読機械【ボンブ】【Turing Bombe】
高さは人の背丈ほど、無数のドラムがガチャガチャと音を立てて回り続ける機械の群れは、やがて人間の何万倍もの速さで暗号の鍵を見つけ出すようになりました。
特に、設定が最も複雑で難攻不落とされたドイツ海軍のエニグマを破ったことは、博士が率いた班の大きな功績です。
この戦いを、国の頂点も見守っていました。
ブレッチリー・パークを視察したチャーチル首相は、ここの人々を「黄金の卵を産みながら、決して鳴かない鵞鳥(がちょう)たち」と呼んで讃えたと伝えられます。
ウィンストン・チャーチル首相
人手も機材も足りないと博士たちが直訴の手紙を送った際には、首相はただちに「本日中に対応せよ」と側近に命じ、必要なものをすべて与えました。
こうして連合国は、ドイツ軍の無線を「盗み聞き」できるようになりました。この極秘情報は「ウルトラ」と呼ばれ、戦争の行方を静かに、しかし決定的に変えていくことになります。
✨✼••┈┈••✼大西洋の攻防、そしてノルマンディーへ✼••┈┈••✼
エニグマ解読の恩恵を最も受けたのが、大西洋の戦いでした。
当時、イギリスは島国ゆえに、食糧も武器も燃料も、船で運び込むしかありません。
そこをドイツの潜水艦Uボートの群れが待ち伏せ、輸送船を次々と沈めていました。
このままでは戦う前にイギリスが干上がってしまう――そんな瀬戸際で、海軍エニグマの解読が成功します。
Uボートの潜む海域が事前に分かるようになると、輸送船団は狼の群れを避けて航路を変え、逆に対潜部隊がUボートを狩り出せるようになりました。
そして、この大西洋の勝利こそが、歴史的な大作戦の土台となるのです。
1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦。
連合国軍がフランスの海岸に一斉に上陸し、ナチス・ドイツからヨーロッパを解放する反攻の狼煙となった、史上最大の作戦です。
実はこの作戦は、暗号解読なくしては成り立ちませんでした。
まず、上陸部隊となる100万を超えるアメリカ軍将兵と膨大な物資は、すべて大西洋を渡ってイギリスに運び込まれたものです。
Uボートの脅威が取り除かれていなければ、この大輸送はそもそも不可能でした。
さらに、連合国は上陸地点をドイツに悟られないよう、大がかりな欺瞞(ぎまん)作戦を仕掛けていました。
「上陸はノルマンディーではなく、カレー海岸だ」と思い込ませるための、偽の軍隊、偽の無線、偽の情報。
問題は、ドイツがその嘘を本当に信じているかどうか、確かめる術がないことでした。
大西洋の攻防
その答えを教えてくれたのが、解読された暗号です。
傍受したドイツ軍の通信は、彼らが見事に罠にかかり、精鋭部隊をカレー方面に貼り付けたままにしていることを示していました。
「敵は騙されている」――この確信があったからこそ、連合国は運命の6月6日、ノルマンディーの海岸へ踏み出すことができたのです。
歴史家たちは、暗号解読によって戦争の終結はおよそ2年早まり、救われた命は1,000万を超えるとも語っています。
✨✼••┈┈••✼讃えられることのなかった英雄✼••┈┈••✼
けれど、ここからがこの物語の切ないところです。
暗号解読は国家の最高機密でした。
戦争が終わっても、ブレッチリー・パークでの出来事は数十年にわたって固く伏せられ、博士は誰からも称えられることなく、静かに研究生活へ戻りました。
世界を救った英雄は、隣人にとってはただの物静かな数学者だったのです。
戦後の博士は、「考える機械」の研究に没頭します。
現代のコンピュータの理論的な土台を築き、1950年には「機械は考えることができるか」という有名な問いを発表しました。
機械と人間を会話させ、区別がつかなければ機械は「考えている」と言えるのではないか――この思考実験を、博士は「イミテーション・ゲーム(模倣ゲーム)」と名づけました。
後に世界を変える人工知能研究の、まさに原点です。
しかし、時代は博士に残酷でした。
当時のイギリスでは、同性を愛することが犯罪とされていたのです。
1952年、博士は同性愛を理由に有罪判決を受けます。
裁判所が突きつけた選択肢は、刑務所に入るか、それとも「治療」を受けるか。
博士は研究を続けるために後者を選ばざるを得ませんでした。
それは、同性愛を「矯正すべき病」とみなし、薬によって性を抑え込むという、今日から見ればあまりに非人道的な処置でした。
投与された薬は博士の心と身体を蝕み、機密を扱った経歴ゆえに「危険人物」と見なされて研究の道も狭められ、社会的な立場は奪われていきました。
そして判決から2年後の1954年6月、博士は自宅で亡くなっているのが発見されます。
傍らには、かじりかけの林檎がひとつ。死因は青酸中毒で、自ら命を絶ったと断定されました。
41歳でした。
国を救った頭脳が、その国の法と「治療」によって追い詰められ、静かに幕を下ろした――歴史の、あまりに皮肉で痛ましい一頁でした。
✨✼••┈┈••✼50年後の「感謝」✼••┈┈••✼
それでも、物語はここで終わりませんでした。
1970年代、ようやく機密が解かれ、ブレッチリー・パークの真実が世に出始めます。
1983年には、数学者アンドリュー・ホッジス氏が丹念な調査の末に評伝『アラン・チューリング エニグマ』を著し、天才の栄光と悲劇の全貌が初めて広く知られることになりました。
アンドリュー・ホッジス氏
人々は問い始めます。
「私たちは、恩人に何ということをしてしまったのか」と・・・
2009年、市民の署名運動を受けて、イギリス政府は首相の名で公式に謝罪しました。
2013年には女王による恩赦が与えられ、さらに博士と同じ罪で裁かれた大勢の人々を救済する法律は、その名も「チューリング法」と呼ばれています。
そして2021年、イギリスの50ポンド紙幣が新しくなったとき、その裏面に描かれたのはチューリング博士の肖像でした。
発行が始まったのは6月23日――博士のお誕生日です。
かつて国に裁かれた人が、いまはその国のお金の顔になっている。
これほど雄弁な名誉回復が、ほかにあるでしょうか。
英の50ポンド紙幣
そして、この物語を世界中の人々の胸に届けたのが、2014年公開の映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』でした。
原作となったのは、先ほどのホッジス氏の評伝です。
この本に心を撃ち抜かれた若きアメリカ人脚本家グレアム・ムーア氏は、少年時代からチューリング博士に憧れ続けてきた人物でした。
グレアム・ムーア氏
彼が情熱を注いで書き上げた脚本は、映画化される前から「ハリウッドで最も優れた未映像化脚本」として業界で話題となり、名優ベネディクト・カンバーバッチ氏が博士を演じて映画化が実現します。
映画化された【イミテーション・ゲーム】
映画は世界的な大ヒットとなり、アカデミー賞では脚色賞に輝きました。
授賞式の壇上でムーア氏が語った言葉は、いまも多くの人の心に残っています。
自分も若い頃、居場所がないと感じて苦しんだ。
だから今つらい思いをしている子どもたちに伝えたい――変わり者のままでいい、人と違うままでいい。いつかあなたが輝く番が来る、と。
博士の物語は、こうして半世紀の時を越え、世界中の「居場所のない誰か」を励ます光になったのです。
✨✼••┈┈••✼時は、ちゃんと見ていました✼••┈┈••✼
今では博士の肖像はイギリスの50ポンド紙幣を飾り、「コンピュータの父」「人工知能の父」として、世界中の教科書に名前が刻まれています。
私たちが毎日使っているパソコンもスマートフォンも、そしてAIも、源流をたどればこの人にたどり着くのです。
亡くなってから半世紀以上をかけて、世界はようやく博士に「ありがとう」を言うことができました。
遅すぎた感謝かもしれません。
それでも、本当に価値のある仕事と、その人の真心は、どれだけ時間がかかっても必ず光の当たる場所へ帰ってくる――博士の生涯は、そう教えてくれているように思います。
評価されない日々の中で、腐らずに積み重ねているあなたの努力も、きっと同じです。
今は誰も見ていなくても、時が、ちゃんと見ています。
✨✼••┈┈••✼窓辺のこぼれ話✼••┈┈••✼
最後に、この物語にまつわる小さなお話をふたつ。
ひとつめは、Appleのロゴのお話です。
あの有名な「かじりかけの林檎」のマークは、スティーブ・ジョブズ氏がチューリング博士を深く尊敬していて、博士の傍らにあった林檎への追悼を込めたのだ――そんな都市伝説が、まことしやかに語り継がれています。
実際には、デザインした本人もApple社も「偶然です」と否定しているのですが、この説を尋ねられたジョブズ氏が「本当じゃないんだ。でも、本当だったらよかったのにと心から思うよ」と答えた、という逸話が残っています。
コンピュータの父への敬意が、それほど自然に信じられる伝説を生んだ、ということなのでしょうね。
Apple社のロゴ
ふたつめは、チャーチル首相のお話です。
首相の正式なお名前は、ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル。
実は、あのダイアナ妃のご実家である名門スペンサー家と祖先を同じくする、遠い親戚筋にあたります。
ダイアナ元妃のご実家スペンサー伯爵家の本邸オルソープ邸
300年ほど昔の英雄マールバラ公爵の血筋が、片や戦時の大宰相へ、片や世界中に愛されたプリンセスへとつながっていった――歴史の窓は、思いがけないところで隣り合っているものですね。
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今回の窓は、ここでそっと閉じることにいたします。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました(* ˊᵕˋㅅ)♡