青の教室/陽子 第17話(4月1日) ――すこし近づく線――
記事
学び
第17話(4月1日)
――すこし近づく線――
昨晩のことを、
陽子は思い返していた。
夕食のあと、
食器を片づけていると、
美咲が作りかけの課題表を持ってきた。
「陽子、ちょっと
ノートを見せてもらっていい?」
いつもより少しだけ柔らかい声だったけれど、
陽子は胸がきゅっとした。
怒られるのかもしれない。
できていないところを指摘されるのかもしれない。
でも、美咲は違った。
「地理と歴史、ちょっと多いよね」
「小分けにしてみようか…」
「……どうかな、こういうの」
「陽子がやりやすかったら、なんだけど」
そう言いながら、美咲はペンを取って、
課題表の“地理”の横に小さく書き込んだ。
地理:今日は1ページだけ。
そして“歴史”の横には、
歴史:今日は飛鳥時代だけ。
陽子は驚いた。
お母さんとこんなふうに話ができるとは
思っていなかった。
胸の奥に、あたたかいものが広がる。
美咲が自分のことを思ってくれている。
ちゃんと見てくれている。
相談してもいいんだ。
陽子はうれしかった。
でも、急に優しくされて、
胸の奥がそわそわする感じも抱いた。
***
昼過ぎ、陽子が青の教室に入ると、
さとるがすでに机に向かっていた。
ワークを開き、
書き込み、
プリントで確認し、
またワークに戻る。
一見すると順調に見える。
でも、近くで見ると、
さとるの眉間にはうっすらとしわが寄っていた。
ページをめくる手が、
ときどき止まる。
(……また間違えた)
そんな小さなつぶやきが、
机の上に落ちるように聞こえた。
「お、できた」
そう言ったときの声も、
どこか自分に言い聞かせるようだった。
青の教室には、
“自分のペースで進む”という静かな風が流れている。
でも、さとるはその風に乗ろうとして、
少しだけ背伸びしているようにも見えた。
陽子はその姿を見て、
胸の奥が少しだけ軽くなった。
(わたしだけじゃないんだ……)
(さとるも苦しいんだ……がんばってるんだ)
(わたしもがんばってみよう)
***
陽子は、
小分けにしてもらった課題表を開いた。
地理:今日は1ページだけ。
歴史:今日は飛鳥時代だけ。
「……これなら」
小さくつぶやくが、
ワークを開いた瞬間、
胸の奥にざらつきがまた来た。
(地理も歴史も……どこから手をつけよう…)
(釈迦三尊像って…漢字難しいなあ…)
影はまだそこにいる。
しかし陽子は、
手を止めずに一つずつ進めた。
***
その様子を見ていた友彦が、
そっと声をかけた。
「陽子、歴史のプリントやってみる?
飛鳥時代なら……そうだな、
聖徳太子だけテストしてみる?」
陽子は顔を上げた。
友彦が渡してくれたのは、
教材会社の“eプリント”。
重要語が整理されている
図や表が見やすい
一目見て“何を覚えればいいか”がわかる
陽子は驚いた。
(こんなふうにまとまっているプリント、
見たことない……)
胸の奥が、ほんの少しだけ明るくなった気がする。
(ちょっとこわい気もするけど……)
(……さとるもがんばってるよね)
揺れる陽子。
気を取り直して
陽子はeプリントに手を付けてみた。
***
帰り際、
陽子はほんの少しだけ温かかった。
(ワークで練習して、プリントでテスト……)
(釈迦三尊像も書けるようになったし…)
“リズムに乗れるかもしれない”
胸の奥にそんな期待が生まれた。
影はまだ消えない。
こわさもまだ残っている。
英語のイラストプリントをもらったときのような
きらきらした感じが
いつも続いているわけではない。
でも、光も確かにある。
前よりも、ほんの少しだけ強くなっていた。