青の教室/俊雄 第6話(3月29日) ――もうひとつの芽――
記事
学び
青の教室/俊雄 第6話(3月29日)
――もうひとつの芽――
東京では満開だと今朝のニュースで流れていた。
青の教室の周りの桜も、ほころび始めている。
薄い桜色は、
空気の中を満たす青い光に
そっと見守られているようだった。
俊雄は、教室のドアを開けて
静かに入ってきた。
昨日よりも、胸の奥が少しだけ軽い。
俊雄は、すっと座った。
友彦は、机の端に置いた積み木へと視線を向けた。
(きっと大丈夫だ。)
俊雄の表情を見て、
友彦は持っていた確信がより確かになった。
いつもの積み木ではない。
直角二等辺三角形の積み木ばかりが、
俊雄のいる机の前に用意されている。
友彦はやわらかく声をかけた。
「俊雄、今日はちょっといいかい」
俊雄は友彦の方に顔を向けた。
「この三角形、2つ組み合わせると正方形が作れるね。
できた正方形の面積を1とする」
「……はい」
「では、4個で正方形を作れるかい」
俊雄は少し戸惑ったが、
積み木をひとつ手に取ると、
形を確かめるように並べ始めた。
しばらくして、
正方形がきれいにできあがった。
「お、できたね。
では、面積は?」
俊雄は、ほとんど間をおかずに答えた。
「2かな……」
「そうだ。
じゃあ、この面積2の正方形の1辺の長さは?」
俊雄は少し考えた。
友彦は続ける。
「1じゃないね。1.5でもない。
……ルート2っていうんだ」
「ルート……」
「ルート2って、正確に言うと
1.414213…って無限に続く小数になるんだ。
じゃあ、ルート2かけるルート2は?」
俊雄は黙って考える。
「1辺がルート2の正方形の面積を考えるといい。
だから2でいいんだ。
ルート5かけるルート5は5だね」
「はい。……そうですね」
「じゃあ今度は、1辺が4の正方形を紙に書いてごらん。
適当な長さでいいよ。
書けたら各辺の中点を結ぶ。
そうすると真ん中に斜めの正方形ができる。
この正方形の1辺の長さは?」
俊雄は、
カバンからルーズリーフを取り出し、
正方形を描きながら考え始めた。
その手つき、
その目つき――
友彦にはすぐにわかった。
俊雄が身体で言っている。
俊雄の数学は、壊れていない。
数学には“歴史”も触れていない。
しばらくして、俊雄は顔を上げた。
「……ルート8ですか?」
「そう。よくわかったね、俊雄」
友彦は笑みを浮かべた。
俊雄も、静かに笑った。
***
そのころ、
陽子の携帯には
さとるからのLINEメッセージが来ていた。
「青の教室って
なんか、落ち着くね」
「うん。
なんか、自分でいていいって…
いつもそんな気がするの。
友彦先生が言うこと、
私の邪魔をしないの」
「おれもそうだ。
……何でだろうね」
***
帰り際、
俊雄は心地よかった。
胸の奥に、ふと
あの風景画の隅に描いた小さな花が
理由もなく浮かんできた。
(……としお)
そっと自分を呼んでみる。
その声は、昨日よりも少しだけ確かだった。
教室を出ようとする俊雄を、
ほころびかけた桜がそっと待っていた。