青の教室/陽子/風 4

青の教室/陽子/風 4

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学び
第4章 風の底に触れる

翌朝、陽子は目を覚ました瞬間、胸のざわめきが昨日より少しだけ強くなっているのを感じた。

(……行きたくない、かも)

青の教室のある日なのに、身体が布団に沈んだまま動かない。
 昨日の母の電話の声が、胸の奥に残っていた。

「……すみません」「……今の状況では」

母の声は、あのときだけ、
 陽子が知っている“強い母”ではなかった。

(ママ、どうしたんだろ)

考えると胸がぎゅっとなる。
 でも、考えないようにすると、胸がざわざわする。

(どうすればいいの)

布団の中で丸くなっていると、
 窓の外から、春の風がカーテンを揺らす音が聞こえた。

その音が、陽子の背中をそっと押した。

(……行こう)

理由は分からない。
 でも、青の教室に行けば、
 胸のざわめきが“音”にならずに済む気がした。

陽子はゆっくり起き上がり、制服に袖を通した。


***

青の教室に着くと、
 先生がいつものように静かに迎えてくれた。

「おはよう、陽子」

その声は、春の光みたいに柔らかかった。
 陽子は、胸のざわめきが少しだけ薄くなるのを感じた。

席に座ると、先生が言った。

「今日は、ちょっと話をしようか」

陽子は驚いた。
 先生は普段、必要以上に話をしない。
 でも今日は、陽子の胸のざわめきに気づいていたのかもしれない。

先生は陽子の向かいに座り、
 机に肘をつかず、ただ静かに目線を合わせた。

「最近、胸のあたりがざわざわしてる?」

陽子は、息を飲んだ。

(なんで分かるの)

でも、分かるのだ。
 青の教室の先生は、言葉よりも“揺れ”を見る。

陽子は、ゆっくりとうなずいた。

「……なんか、変なんです。
  苦しいとかじゃないけど、
  胸の奥が、ずっとふわふわしてて」

「ふわふわ?」

先生は少し笑った。
 笑われたわけではなく、
 陽子の言葉をそのまま受け止めた笑顔だった。

「うん。なんか、落ち着かない感じで……
  でも、嫌な感じとも違って……」

陽子は言葉を探しながら続けた。

「昨日、ママが……
  なんか、すごく疲れてて。
  電話で謝ってて……
  それ聞いたら、胸が変になって」

言葉にしてみると、
 胸のざわめきが少しだけ形を持った気がした。

先生は、すぐに答えを返さなかった。
 ただ、静かに聞いていた。

その沈黙は、母の沈黙とは違う。
 壊れそうなガラスではなく、
 陽子の言葉を置くための“柔らかい場所”だった。

「陽子」

先生はゆっくり言った。

「胸がざわざわするのはね、
  “自分の気持ちが動いてる”ってことなんだよ」

「動いてる……?」

「うん。
  まだ名前のついていない気持ちが、
  風みたいに胸の中を通っていくと、
  ざわざわしたり、ふわふわしたりする」

陽子は、胸に手を当てた。

(風……)

「それは悪いことじゃないよ。
  むしろ、陽子が“誰かのことをちゃんと感じてる”ってことだ」

「誰か……」

「お母さんのこと」

陽子は目を見開いた。

胸のざわめきが、
 その言葉にそっと触れた気がした。

「お母さんが疲れてるのを感じたんだね。
  だから胸がざわざわした。
  それは、陽子の心がちゃんと動いてる証拠だよ」

陽子は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

(わたし……感じてたんだ)

母の沈黙の奥にある影を、
 陽子は知らないうちに受け取っていた。

それは苦しいけれど、
 どこか優しい痛みだった。

先生は続けた。

「風の底ってね、
  静かだけど、ちゃんと流れてるんだよ。
  陽子の胸のざわめきは、
  その風に触れた証拠なんだと思う」

陽子は、ゆっくり息を吸った。

胸のざわめきはまだある。
 でも、それはもう“怖いざわめき”ではなかった。

(これ……わたしの風なんだ)

そう思うと、
 胸の奥が少しだけ軽くなった。


***

教室を出ると、
 外の風が陽子の頬をやさしく撫でた。

(あ……この風、さっきの話みたい)

胸のざわめきが、
 風と同じリズムで揺れている気がした。

陽子は、少しだけ笑った。

(大丈夫。
  わたし、ちゃんと感じてる)

その感覚が、
 陽子の足取りを軽くした。

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