ぼくはともちゃん。
ぼくはいい子ちゃんで育った。ぼくはとてもはずかしがりで人見知りが今でもきつい。
ぼくは、30年前のあの明け方、ガタガタときたときのことをよく覚えている。もう30年か。ぼくの家の外壁ボードの継ぎ目には、今も目地にクラックが残っている。部屋の壁紙の継ぎ目にも跡がちゃんと残っている。幸いなことに、ぼくのうちではコップひとつ割れなかったのだけれど。
30年前のゴールデンウィークに、ぼくは生まれて初めてパソコンを買った。その頃はまだパソコン通信の時代で、インターネットは一般には普及していなかったんだ。そう。初めてのパソコンは Windows 3.1 だった。世の中がこんなに変わるだなんて、だれが予想しただろうね。
ぼくも、30年前のぼくとは比べ物にならないほどの経験をしてきた。経験を積まないでは、人は成長できないんだね。
若いころから持っていた理想を追いかけて、よくこんなところまでがんばってきたと、ぼくはぼくのことをほめてあげよう。山あり谷あり波風強かったよね。ぼくはぼくのことが嬉しいから、これからもがんばれると思うんだ。
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2015年5月20日
学習塾リバティ 木村友彦
中3物語/
「内界の状態は良好ですか?」
音楽でも絵画でも、その他の芸術でも、美しいものに触れることで心の状態が変わります。感動する。感銘を受ける。心が洗われる気持ちがする。
私は読む量が多いというわけではないのですが、河合隼雄の「子どもの宇宙」などの著作を読んでいると、「内界の住人」という言葉がたびたび登場するのを目にします。心にだれかのことを思い浮かべる。そのことから連想が広がり、自分の思考や行動が大きく影響を受ける。仮に家族のだれかが亡くなったとしましょう。そのだれかは現実の世界にはもう存在しないのだけれど、心の中ではなおも大きな力をもつ。恋人ができたとしましょう。恋人は、やはり内界の住人としても、自分の心や行いに大きな影響をもちます。
心の中の世界を大切に考えなければなりません。内界の住人にしても、内界の「できごと」にしても、外界の現実ではないことがらだからといって、軽く考えない方がいい。
学業の世界でも、外界の現実として成績の向上が要求されるのですが、それは心の世界から一つひとつつむぎだされる結果であると考えられるわけです。成績を上げるために必要な事柄は何か。子どもたちの勉強に関わる仕事をしてきて、私の「結論」と言っても大げさではないと思える考え方があります。想像力がはたらくように気持ちを整えてやること。想像力がはたらくように、子どもと一緒に歩いてやること。これは本当に大切なことだと思われます。
体罰はなぜいけないか。突き詰めて考えて(どこまで突き詰められたかは別にして)私にはそれが人間の想像力を殺すからだと思われます。体罰のある教育を一方の極にし、内面の力を引き出す教育をもう一方の極として、その両極の間に一本の数直線を考えてみる。自分の位置がその直線上のどのあたりにあるのかを考えてみることは、私にとってはとても大切なことであると思われます。私は、内面の力を引き出す方法の極に自分の「よって立つ根拠」をもっていたい。日々そう考えています。
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ともちゃんは思う。首尾ずーっと貫けたよなあ。
大阪では、あす18日に私立中学校の入学試験をむかえるんだ。ぼくはみんなの人生に少なからず足跡をつけた。合否は即日に知らされるようだけれど、でも、もうみんなしあわせのふうだったよ。電話の向こうの《声》がしあわせそうだった。
みんなの30年後。みんなはいったいどんなことを思い出すだろうね。