イエスが、自分はこれから処刑される運命にあると、ペトロに伝えた時、
ペトロは「そんなことがあってはなりません!」と言うのだが、
このとき、イエスは「退けサタン!あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と叱責するのだが、この意味が分かるだろうか?
サタンの分身である悪霊は、容易に人の心に入り込む。漫画や映画の悪霊のように、それ単体で目に見える形で、動き回ったり、加害してくることはない。
あなたの魂に憑依して、真実を見えなくさせ、悪いことをさせる、それが本来の悪霊の正体なのです。
だからイエスの直弟子のペトロにさえ、悪霊が入り込み、神の意志を成し遂げることを妨げようとしたから、イエスは叱責したのだ。
人のことを思っている=人の肉体をもって生れ出たイエスのことを思っているということだが、イエスの本体は、肉体ではなく、魂である。その魂はもともと天界にあって、役目を果たすため地上に降りてきただけだから、役目を果たさずに普通に人のように老衰で死ぬとしたら、何の意味もないのだ。
イエスが神の分身であり、歴代の予言者もまた、神の霊が入った神の代弁者であると認めない者は、残念ながら地獄へ行く運命だ。
確かに、イエスは普通の人間と同じように女の腹から生まれてきて、普通の人間と同じように食事もしたし、普通の人間のように歩き、話したであろう。
では、神が空の上から、羽をはやしてパタパタと舞い降りてきて、圧倒的な威光を放ち、我こそは、この世界の創造主!絶対者にして至高者である神である!と現れたなら、それは誰だって、神だと認めるでしょう。
そうではなく、神の言ってることが正しいことであると見分けられる魂が、天界では必要とされてるのだから、そんな誰でもわかる形で神は現れないわけです。イエスの言った言葉、「私を見たから信じるのか、見ないで信じる者は幸いである」という言葉の意味をよく考えてみればわかります。(見ても信じない人たちばかりでしたが・・)
そしてまた、イエスが、処刑される前の日に、嘆き悲しみ、処刑されるときも
非常に苦しんだのも、人間と同じ目線に立つためであったと考えられます。
もしイエスが「私は神の分身だから、処刑されても生き返るし、なんなら痛みを感じるスイッチもオフにできるから全然苦しくもないし、大丈夫なんだよ~ん!」てな感じでペトロに言ったら、ペトロはもう、ぽかーん( ゚д゚)でしょうね。そんな人間(というか神)に感情移入できますか?異質すぎて無理でしょうね。つまり心を動かされない。だとすると神の教えも守らないでしょう。
だからこそ、「神としてのイエス」と「人としてのイエス」この2つの意識が必要なのだとわかるかと思います。
母親が、自分の子供に「あばばば~!」とかやってるのと同じように、知能レベルを低いものに、あえて自分を合わせる、それこそが愛でありましょうが。
神は人を愛し、自分に立ち返るのを待っている。