その一言に、胸の奥がザワついた
「私たちを信頼してください」
「皆さまの信用を得て」
今回の衆議院解散総選挙。テレビをつければ、どの局でも候補者のインタビューや街頭演説が流れています。けれど、その言葉を耳にした瞬間、私はどうしようもない違和感を覚えました。
いきなり“信頼”って、何を根拠に?
“信用”って、そんなに簡単に口にしていい言葉だった?
頭では政治のスピード感が必要なことは分かっています。
でも感情が追いつかない。そんな自分に気づいたところから、私は「信用」と「信頼」について改めて考え始めました。
私なりの「信用」と「信頼」の定義
私の中で、この二つははっきり分かれています。
信用とは、時間をかけて少しずつ積み上げていくもの。
言ったことを守る、態度が一貫している、困ったときに逃げない。そうした行動の積み重ねで、ようやく溜まっていく“残高”のようなものです。
一方で信頼とは、その信用が十分に積み上がった先に生まれる状態。
「あなただから大丈夫」「あなたが言うなら任せる」
そこまで“信じ切ってもらえている”関係性だと考えています。
だからこそ、いきなり「信頼してください」と言われると、順番が逆じゃないかと思ってしまうのです。
100日も経たない政権と、新党結成という現実
今回の選挙は、状況があまりにも目まぐるしい。
高市早苗首相のもとで新体制が動き出してから、まだ100日も経っていません。その一方で、立憲民主党と公明党は新党を立ち上げ、解散総選挙に突入しました。
もちろん、戦略や大義があるのは分かります。ですが、特に引っかかったのは、公明党の動きでした。
ついこの前まで自民党と連立を組み、地方では長年一緒に戦ってきた関係。その支持者に対して、突然「こちらに鞍替えしてください」と言えるのか。
ある候補者がこう語っていました。
「方針としてはそうならざるを得ない。でも、人情としては簡単に切り替えられるものではない」
この言葉には、正直さが滲んでいたと思います。だからこそ、余計に問いが浮かびました。
その人たちは、信用と信頼をどう定義しているのだろうか?
政策以前に問われているもの
議席を取らなければ、やりたい政策が実現できない。
それは政治の現実です。
でも、信用や信頼の定義が曖昧なままなら、それは理念ではなく自己保身に見えてしまう。少なくとも、私にはそう感じられました。
ドブ板選挙の地上戦、SNSを活用した空中戦。
手法ばかりが語られがちですが、本当に大切なのはもっと手前にあるはずです。
人と人が、どうやって信用を重ねるのか。
どうすれば、信頼される存在になれるのか。
それを自分なりに定義していない人の言葉が、どれほど重く響くでしょうか。
「信じてほしい」と言う前に
私は思います。
信頼は、求めるものではなく、結果として与えられるものだと。
だからこそ、問いたいのです。
今回の選挙で「信用」や「信頼」という言葉を口にする人たちは、その言葉の重さを、どこまで自覚しているのでしょうか?
そして私たち自身は、誰を、何を根拠に信じようとしているのでしょうか?