Sunoを始め、いくつかの生成AIを組み合わせ音楽コンテンツを制作してきました。
本活動とは別に、生成AI同士の壁打ちでバンドを結成させ、メンバー・楽器構成、バンド名、リリース楽曲案など全てを自動化してみるといった実験も行ってきました。
私名義の作品としてSuno生成による楽曲のみのアルバムもリリースしたこともあります。
そして壮大な構想を練った次回作も生成AIとの共作を考えていたのですが、その決断をひっくり返しました。
今後の制作活動、そして実生活においても、なるべく己の意志で生成AIを使用しないと決意しました。
その理由と、そこに至るまでの経緯を簡単に記してゆこうと思います。
生成AI活用で加速した制作
つい先日、背景に使用されている絵は違えど、流れる楽曲はまったく同じというショート動画を連続して投稿しました。
一方はアニメ作画の下書きのようなイラスト。
もう一方は私が一眼レフカメラで撮影した神社の門です。
楽曲のタイトルは『Hide and Seek』、日本語で『かくれんぼ』という意味ですね。
実はこの『かくれんぼ』という楽曲、約4年前から構想していた 架空アニメーションのサウンドトラック制作プロジェクト の一曲として作曲したもの。
ジブリの音楽を手掛ける久石譲氏、多くの映画音楽で名曲を生んだ坂本龍一氏、尊敬して止まない二大巨頭のように「聴いているだけでも感動するサウンドトラックを作りたい」という野望から思い付き、「映画オファーなんて無いから自分で脚本を考えてそのサウンドトラックを作ってしまおう」というむちゃくちゃ強行のプロジェクトです。
しかしその制作が現実味を帯びたのが2023年、GPTに日本語が実装された時。
作曲だって大変だと言うのに、経験したこともない脚本作りというのはかなり頭を悩ませされました。
長編アニメーションという設定とタイトル、そしてテーマは決定していたけど肝心なストーリーが全然思いつかなかった。
しかし大規模言語型生成AIの汎用化により壁打ちが容易になり、その案の進行は一気に加速しました。
映画ポスター風のイメージ画像
nanobananaがGeminiに実装される前、Google Image FX で画像生成出来るようになったのも大きかったですね。
壁打ちで育つ脚本に平行して輪郭が曖昧キャラクタービジュアルイメージをどんどん形にしてゆく、そうするといっそイメージが固まってゆき制作が進む。
そうして公開を始めてゆこうとアップしたのが冒頭に挙げたアニメ作画の下書きのようなイラストであり、物語の初頭のワンシーンのスケッチ風であります。
制作過程を丸ごと作品とすることを目指していた為、編曲前のピアノデモの時点から各SNSで公開することは決まっていました。なので各シーンのフルカラーのビジュアルイメージを先に生成し、その後にスケッチ風編集を加え「デモ」を表現しました。
ストーリー序盤の主人公スキップが森へ駆け込むシーンの元画像
しかし、AIに生成させた画像を背景に使用した動画をアップした数日後、同じ楽曲に対しAIを使用していないバージョンの動画をアップしたのです。
その理由は、今後AIを使用することを止めると決断したから。
さて、ここまで進行させておいてなぜ生成AIの使用を止めるのか、それは生成AI稼働がもたらす発熱が理由です。
AIの使用で気温が「4度上昇」する可能性
先日、千葉県の北部を襲った豪雨について、悲しいことではあるけどそういった気候変動などの環境問題に私たち人間の営みが関与している旨を #未来のためにできること というテーマに沿ってnoteを書きました。
私たち人間は己の都合のためにこの地球をどんどん破壊しているという内容でしたが、私は生成AIの使用もその行為のひとつだと思っています。だから使用しない旨を決意しました。
きっかけは最近こそ巷にある問題提起を記すニュース等を見たからではなく、もっと前の実体験が故です。
私は音楽ではない仕事で、AI事業を包括するある事業に関わっています。
ボヤ化している理由はかなり高度な秘匿性を締結している事業であるから触りすら書けないからです。ご容赦いただきたい。
その事業を通じて私は身を持ってその熱さを経験しました。情熱ではない、物理的な温度の熱です。
その事業の関連施設付近は、真冬であっても薄着で過ごせる。冗談ではなくこの国から冬が無くなると思うほどに暖かい。まるで炎のモノリス。
そしてそういった炎のモノリスは、生成AIの需要、クラウドデータベース需要の増大に比例して急速に世界中で数が増えています。今後の計画を見てもそれらは止む兆しはありません。
私はそれを知っていながら、しばらく生成AIを動かし続けてしまった。
自分都合で、ただ己の野望を実現する為に相当な稼働を命じ続けてしまった。その行いが自分の強い関心でもある環境問題に影響するとハッキリと理解しているのにです。
そして先日の豪雨が起きた。
神を怒らせてしまったと、そこで初めて恐怖を感じました。
私はAIを使うことをやめました。
農主の言葉
ある農主の言葉が私の決意をさらに強固としました。
我が家が応援している『結び合い農園』さんが豪雨の後SNSに投稿した文章です。
ちょっと長いですが、とても大事な内容なので 全文掲載させていただきます。
掲載については農主より許可をいただいております。
みなさん大雨の方は大丈夫でしたでしょうか。
当農園は人参が流されたり、川沿いの畑が湖になったり、台風直撃くらいの被害がありましたが、家も家族も動物たちもみな元気で無事です。
一方で周辺ではたくさんの車が浸水し、亡くなる方もでてしまいました。
この豪雨が突然だったというのが怖いことです。
今回のニュースで被害の現状や被災者を救出したり復旧に尽力してくれる方々のマンパワーが注目されると思います。
有事の際の人の力や正義感は本当に素晴らしいです。
でも私としてはそこでニュースの話題を終わりにしてほしくないです。
そもそもなんで観測史上最大とかそれに準じるような気候災害が統計的に増えているのかの原因と、それを防いだり緩和するには何ができるのか、までニュースで言及していほしいですし、みんなに意識を持ってもらいたいと思っいます。
それは疑う余地がなく、人間活動が大気中の温室効果ガスを増やして、気候変動を招いているからに他なりません。
気温が高くなるほど大気が水を抱えられる量が増えて一度に降らせる雨の量が増えてしまいます。
じゃあその温室効果ガスの中で最も多くを占めているのは何かというとCO2で、そのCO2は発電や車の動力などによるエネルギー由来の排出が最も多いです。
直視しなくてはいけないのは、先進国で化石燃料に依存する生活や産業を営んでいて大量のCO2を排出し続けている私たちは、今回の豪雨に関して(世界中で起きている豪雨や熱波の災害に関しても)、みんなでちょっとずつ間接的な加害者なんじゃないのかということです。
こんなことをいう私は嫌味な奴だと思われるでしょうし、このことは非常に目を背けたいというか、受け入れがたいことだと思うのですが、本当に災害を減らすにはそこは直視しなくてはいけないんだと思います。
防災インフラを強化するべきという考えが多くあってその通りだと思うのですが、根本の気候変動を止めることをしないで、インフラだけ強化していてもいたちごっこというか、むしろ追いつかないと思います。
今より災害が激甚化したり、40度越えの世界で生きるより、気候変動を止める方がよっぽど簡単で、現実的で、責任ある政策だと思うのですがどうでしょうか。
私たちは目の前の人を助けるような直接的なことには爆発的なマンパワーと正義感が発揮できるので、気候変動の原因を直視して、間接的に減災につながるCO2削減の取り組みにも爆発的なマンパワーと正義感が発揮できていいはずだと思うのです。
じゃあなにをすればいいか。いまだに温暖化についてもっと関心を持とう、考えよう、では話にならない。
具体的なアクションが必要です。
でもそれは実はそんなに難しいことではありません。
私は最も効果的で簡単なアクションは自宅の電力を再生可能エネルギー由来の電力に切り替えることだと思います。
具体的には各電力会社のホームページに行って、再生可能エネルギー100%のプランに電力契約を変更することです。
クレジットカードと東電から毎月送られてくる検針票さえ用意するばすぐにできます。(ただしマンションアパートで集団で電気の契約をしている場合は自治会などで合意をとらないとできません)
もちろん周辺環境と調和しない無計画なメガソーラーなどの電力は買いたくないよという方は多いと思います。
だからこそ、どこの電力会社にするかはホームページでよく調べて、責任ある発電事業を行っている会社(情勢によって電気料金が高騰しないような対策をとっていることも大切)を選んでほしいです。
ちなみに当農園では「みんな電力」に電力を切り替えていて、ソーラーシェアリングで発電した電気もみんな電力に売電しています。
電力切り替えを行う人が多くなることは選挙の投票よりもよっぽど強力な政治や我が国の電力構造を動かすメッセージになるはずです。
今の電力のプランと比べて割高になったとして、災害を減らしたい、将来世代に対して責任ある振る舞いがしたいと考えるなら、これくらいしてもいいのではないでしょうか。
どうせひと月もすれば、私も含めて、今回の豪雨も過去のことになって、みんな今までの日常に戻っていくと思います。
なので電力切り替えをするなら目の前で豪雨災害が起きている今がチャンスです。
ぜひ今回の豪雨を一過的なものと考えず次につながる教訓ときっかけにしていきたいですね。
ちなみに農業分野で当農園が行っているCO2削減の取り組みは単純にCO2を削減するだけなく、直接的に減災につながる取り組みでもあります。
ソーラーシェアリングは小規模分散型の発電なので、大規模停電におちいるリスクを減らすことができ、エアコンなどの非常用電源の役割を担えます。
不耕起栽培は豪雨による畑の表土の流失のリスクを減らすことができます。
バイオ炭の原料として里山の竹を切り出すことで、根の浅い竹が圧倒的優位な里山の植生を根の深い樹木優位に変えて、土砂崩れのリスクを減らすことができます。
あと、単純に農園は有事の際にめちゃめちゃ心強い食糧庫です。
そんなわけで、農業を通してできる環境貢献、防災減災貢献はたくさんあります。
私ももっとやらねば!と思って進めていることがあるので、またご報告していきますね。
長文お読みいただきありがとうございました。
何も出来ていないどころか、好き勝手に環境を荒らす行動に加担していたのかと、この投稿を読んで背筋を正しました。
人と関わりたいからAIを断つ
環境問題への影響以外にも、AIの継続的利用による孤立化を懸念しています。
AIの力については、以下の動画で中田敦彦氏が発言していた「AIは有力な縁を持たない者にとって非常に強力なツールとなる」という言葉に同意です。
しかし裏を返せば、「ずっと縁に頼らず仕事を完結してゆける」ということであり、「他者を必要としない社会参加を選択する」ということであります。
どう転んでも「人間」という生物である我々にとって、果たしてそれは幸福な未来なのでしょうか?
そして音楽を生業としたい私にとって、その選択は本当に私が望むミュージシャンとしての未来を運んでくるだろうかと自問しました。
答えは、とても幸福とは思えません。
もちろん一人でも音楽は完結できる。
そうして制作された傑作に感動することだってある。
しかし私は多くの人間が関わる音楽が好きです。
デュオ、トリオ、カルテット、オーケストラ、バンドなどなど、多数の人間による合奏が生む化学反応が好きなんです。
多数の人間のパフォーマンスが一体となって1+1= 1の公式を決壊させる瞬間がとても好きです。
さらに演者だけでなく、ミキサー、エンジニアが関わり珠玉の作品が作り上げられる、その魔法を生み出すようなドラマチックな過程が好きです。
音楽を夢見る私にとって、他者が介入できる余白を残さない制作は自ら夢を遠のけているのと同義なのです。
ちなみにバンドマンだった私が30を過ぎてから初めて譜読み、記譜を学び始めたのにもそういった意図があります。
誰かが作った音楽を理解したいし、自分が作った音楽を理解してもらうための共通言語を学んでいるという感覚です。
立ち止まるべき世界
生成AIの登場で私たちがこなす仕事はとても楽になりました。
これまでのリソースコストを大幅に削減することにより残業を減らすことが出来るようになった等、そういった声は巷に溢れています。
そもそも私のメインの稼業がそういったテクノロジーの導入で効率化をデザインするものなので、成功事例をいくつも目撃しています。
しかし、そもそもそういったツールやテクノロジーに頼らないとまともに帰宅することも出来ない程に加速してしまった社会を「減速させる」「立ち止まる」という選択肢はどうして生まれないのでしょうか?
自分たちが仕事をするだけで地球を破壊してゆく社会を、どうして当たり前になってしまっているのでしょうか?
そもそも自分達が関わる「仕事」は誰のための行動で、誰の何の資本のために人生の一部、または人生のほとんどを割いているのか。
これまで目を逸らしてきた「仕事への向き合い方」を考え直す岐路に立たされているのではないかと私は思います。
産業革命から地続きのこの資本主義経済の非持続性についてはこれまでの多くの方々が警鐘を鳴らしてきたました。
世界一貧しい大統領で有名な、ムヒカ大統領もその一人ですね。
その度に立ち止まるチャンスはあっただろうけど、おそらく福利厚生、安定性、給与といったフィルターが民衆の思考を停止させていたのだと思います。
しかし生成AIの汎用化によってこの社会の異常性が露わらになり、更に思考停止を誘発していた「雇用」を前提とするそのフィルターは、生成AIの活性化による雇用減少によってその機能を失い始めます。
そうなってゆく今後、いよいよ人類は考えを改める必要があります。
失われてしまった、自分達が地球という星で「人間」という生物として暮らしてゆくための意識を取り戻す必要がある。
我々民衆がどう足掻いても資本主義経済のリング上ではAIによる氾濫が止まらないでしょう。
しかし、立ち止まり、そのリングから降りる という選択肢は誰にもあるはずです。
今世界は立ち止まることが急務です。
立ち止まって、振り返って、何をしてきたかを思い出して、反省して、地図を書き直して、これまでの道ではない方向に歩み出す必要があり、全人類に与えられた使命なのではないでしょうか。
私がピアノを弾く理由
最後に、ここまで環境問題について言う私が微力ながらも実行に移している行動を記して終わりたいと思います。
まずは本稿の主題である脱AIですね。私の行動で気候変動への影響を生みたくありません。
とはいえ現代社会ではAIありきの要件定義が当たり前となりつつあり、その勢いが止むことはないと思います。
なので私は現職を捨てることにしました。先にも書いたDXコンサルのような職をです。
間違いなく休みが減り、勤務時間が長くなり、収入も落ちると思います。下手したら音楽活動に支障をきたす可能性すらある。しかし今このタイミングで、私の魂が本気で呼応する場所へ移動することが最重要だと考えています。
これまで私がキャリアを築いたホワイトワーカーの業務は、今すでにほぼ毎時と言っていい程AIを稼働させて成果を出すスタイルにシフトチェンジしています。そこから私は足を洗いたい。
そして今私がピアノを弾く理由もその行動のひとつです。
私はもともとロックバンド出身であり、楽器と言えばエレキギター、バンド離脱後のインスト楽曲制作活動についても全てDTMによるデジタルな制作を行ってきました。
しかしある日、電気に依存しないと音楽が出来ないことに恐怖を感じました。
電気の依存は技術進歩への依存を指します。止まらない資本経済への依存と同義だと思っています。
人類は明らかに過度な電気使用を強いられています。
再生可能エネルギーによる担保が100%な電気ならまだしも、人類の健康や安全、自然生態系に影響がある方法で発電してまでも電力が必要なのかと疑問に思うのです。
それと同時に、電気を介さずとも大音量で演奏ができるサックスなどの管楽器奏者を羨ましく思いました。
もし災害等で電気が止まってしまった時、私がメインツールとして使用する楽器のほとんどが機能しなくなる中、彼らは自分の身体の一部かのように楽器を操り音楽を鳴らすことが出来るのです。素敵だなって。
以前住んでいた土地で豪雨による長い停電災害の経験があるので、実際にはそんな余裕なんて無いのは分かっていますけど、あの時もしピアノが弾けたら、家族の気休めくらいにはなれたのかななんて思いました。
そうして電気が無くても鳴る楽器をメインツールにしようと考え、経験があるアコースティックギターによる弾き語りかピアノという2択になりピアノを選択しました。その当時「一生音楽と向き合うために」という思考が巡っていたので、音楽家として最も広い音域を持つピアノに魅了されたという理由もあります。
他にも地球、環境、未来を想って取り組んでいる行動は沢山あります。しかしそれらをここに書いて威張りたいのではなくて、無関係なことは何も無いということを書き残したいのです。
私たちは地球で生きているだけで、ひとりひとりが小さいながらも地球に影響を与えています。
それはまるで私たちの身体のなかの無数の細胞が影響しあって健康に影響するのと同じ様に、地球の細胞のひとつである私たちの行動や意識は地球の健康に影響するのです。
地球の健康は、私たちの大切な人たちの未来に影響します。
私は自分の行動で自分の子供たちの未来を汚したくありません。
だから私は、AIを使わないと決めました。