(5)「人間」の存在が「宇宙」創成の前提なのか?:人間学
①「主観主義」の復権と「人間原理宇宙論」
客観主義~人間の「主観」を離れて「客観的真理」が存在すると考える危険性があります。すなわち、「主観」を無視した「客観的真理」の強制が起き得ます。
主観主義~「真理」は自分にとって意味があってこそ「真理」であり、そういう観点からすれば「真理」の本義は「主観的真理」にあることになります。
人間原理宇宙論~「宇宙」の「存在」はそれを「認識」する「人間」の存在が前提になっていると考えます。「人間原理」とは物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いています。これをどの範囲まで適用するかによって、幾つかの種類があります。
「人間原理」を用いると、宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できますが、これを自然科学的な説明に用いることについては混乱と論争があり、未だ多数には認められていません。「この宇宙は奇跡的にバランスよく作られている」「物理定数がわずかでも違えば生命はもとより、原子や恒星さえ存在できない」「自然法則が違っていたら、3次元でなかったら、多くの可能性の中で、宇宙はなぜこのように人間のような高度な生命を生み出すのに適した構造をしているのか?それは偶然なのか?」といった疑問に応えるために「人間原理」は利用されています。
大数仮説~ポール・ディラックは1937年、以下のように幾つかの基礎的な物理定数から求められる無次元数に10の40乗(またはその2乗)という値が現れることに気づきました。
●陽子-電子間の電磁気力と重力の強さの比
●宇宙の年齢と光が陽子の半径を進む時間の比
●宇宙に存在する陽子と中性子の数
これに対してディラックは、これらは偶然成り立っているのではなく、常に成り立っていると考えました。しかし、この考えに従えば、時間の経過につれて物理定数さえ変化していることになります。そのため、「大数仮説」は広く受け入れられることはありませんでした。現在でも物理定数が変化する可能性は残されていますが、実証は困難です。
弱い人間原理~「大数仮説」が成立する時に人間が存在している不思議さを、人間の存在による必然と考えたのがロバート・H・ディッケです。ディッケは宇宙の年齢が偶然ではなく、人間の存在によって縛られていることを示しました。それによれば、宇宙の年齢は現在のようなある範囲になければならないと言います。なぜなら、宇宙が若すぎれば、恒星内での核融合によって生成される炭素などの重元素は星間に十分な量が存在できないし、逆に年を取りすぎていれば、主系列星による安定した惑星系は無くなってしまっているからです。このように宇宙の構造を考える時、人間の存在という偏った条件を考慮しなければならないという考え方を「弱い人間原理」と呼びます。
「強い人間原理」~ブランドン・カーターはこれをさらに進めて、「生命が存在し得ないような宇宙は観測され得ず、よって存在しない。宇宙は生命が存在するような構造をしていなければならない」という「強い人間原理」を示しました。
【参考文献】
『易経の謎 2000年目に解けた「八卦」の謎』(今泉久雄、光文社)
『超常現象には”法則”があった!』(猪股修二、KKロングセラーズ)
『超常現象には”絶対法則”があった!』(猪股修二、KKロングセラーズ)
『宇宙には意志がある ついに現代物理学は、ここまで解明した』(桜井邦朋、クレスト選書)
『宇宙は自ら進化した ダーウィンから量子重力理論まで』(リー・スモーリン、NHK出版)