(5)「時」を見抜く目と忍耐力・吸収力・向上心がカギとなる
①「時」の訪れは常にさりげないものである。
●「決定的な出会い」「飛躍の原点」も、最初は「小さな出会い」「小さな変化」「小さな第一歩」に過ぎません。
ここで問題なのは、1年後、2年後、3年後には千里の差が生じる違いでも、最初の差はたった一歩に過ぎないのです。カオス理論では「初期条件のわずかな違いが決定的な違いを生む」として、これを「初期値鋭敏性」と呼んでいます。
●「最初に心に浮かんだこと」が「自分の行くべき道」を的確に示しているケースが多いものです。ほぼ8割方、答えは最初に出ているという指摘もあります。実は「内なる声」は最初に叫び、「理性」は後から追いついて、「それが出来ない理由」をいくらでも出してくるものなのです。これが「内なる声」と「理性の声」の違いです。
●カウンセリングでもクライアントに「時」が来てしまったら(「機が熟す」ということです)、初対面だろうと2回目だろうと、一気に「真剣勝負」に踏み切らないといけないこともあります。
ここで重要なのは「啐啄」(そったく)という概念です。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」と言うのですが、雛鳥と親鳥が内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくるわけです。生まれる瞬間が分かるのは親鳥であり、その時に殻のどこが薄くなるかを分かって、そこにヒナ鳥を誘導するのです。これが人生の「節目」であるような「時」が来た時、しかるべき「場」に誘導するのが「天」(神)であり、だからこそ「天運」という言葉が出てくるのです。
●易学の大家で、「名人」と呼ばれた邵康節(しょうこうせつ)は朱子で頂点に達する「宋学」の主要人物の1人ですが、ある晩、門を叩く人があって、物を借りに来たというので、修行のために息子に占わせたと言います。
後に「達人」と呼ばれるようになった息子は最初に一声があり、次に戸を叩いて五声があったことから卦(け)を取り、「剛金」が3つ、「長木」が3つ、象意として出たことから、「鋤(すき)です」と答えました。ところが、邵康節が息子を諭して言うには、「およそ易占を断ずるのには、数を論ずることも大切であるが、また、それ以上に理を論じ、考え合わせることも大切で、忘れてはならないことだ。今、卦を立てた、その道筋は正しいので、借りに来た物を鋤だと断じたことは誤っているとは言わないが、それだけでは理というものが忘れられていて、十分満足すべき判断とは言えない。今は夜なのであるから、夜に入ってから鋤を借りに来るということは普通にはないことで、今、借りに来た物は必ず斧であろう」というのです。果たして、門戸を叩いて物を借りに来た人は斧を借りに来たのでありました。夜になって寒くなり、薪を切ろうと思ったのですが、あいにく斧が壊れていたため、近くの邵康節の家に借りに来たということです。
実に「名人」と「達人」の差が「斧」と「鋤」の差なのですが、それよりも重要なことは「物事の変化」(「機」と言います)の中に端的に「時の変化」(2つ合わせて「時機」と言います)が現われ、それを読み取る「カン」「直感」「直観」が磨かれる必要があるということです。
【ポイント】
「小さな時の訪れ」を敏感に察知出来るようになると、「大胆な行動」も可能になります。逆に「時の変化」に鈍感なままであれば、「時」が過ぎ去ってみて(チャンスを逃してみて、失敗してみて)初めて悟ることとなるでしょう。