運がつく言葉⑱:「渡る世間に鬼はない」

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 これは「冷たいように見えても、人の情けというものはあるものだ」という意味ですが、ここで重要なことは「感謝」の気持ちを忘れないことでしょう。ボーイスカウトの訓練でも、食事の前に「一粒の米にもお百姓さんの汗と涙が込められています、一滴の水にも大自然の恵みが込められています。感謝していただきます」と言ったようなお祈りをしますが、こうした「感謝」の気持ちが無いと、途端に「渡る世間は鬼ばかり」となるのです(ちなみに「感謝」の気持ちの裏返しが「申し訳ない」という気持ちであって、この2つは両方共必要です)。なぜなら、そうした自分の心が「因」となり、さらに「縁」が生じて、同類のものが引き寄せられてくるからです(「類は友を呼ぶ」)。大体、恨み、嫉妬、憎悪といった情念は、人間の感情の中でも最も心の成長を損なうとされ、「人を呪わば、穴二つ」(人の不幸を望めば、自分も同じ運命となる)と言われる所以になっています。
 「どんな名馬でもつまずかぬものはいない」(フランスのことわざ)、「波のない海があろうか」(マレーシアのことわざ)、「人間は努力する限り迷うものだ」(ゲーテ『ファウスト』)と言われるように、物事がうまくいかないで失敗すること、欠点があること、迷い・ためらいがあること自体は世の常、人生の常であって、何人もこれを免れることはできませんが、そこで「感謝」の気持ち(究極のポジティブ思考)を持つのか、「恨み」の気持ち(究極のネガティブ思考)を持つのかで、周囲の環境や人間関係が味方にも敵にも変わってくるということです。
 ところで、こうした「感謝」の気持ちを持つことは何も大それたことではなく、小さな心がけから始まるのですが、その見極めでよく使われるのが食事の場(家庭教育では「情操が育つ場」として重視されています)です。ご飯を食べ終わった時に、お茶碗にご飯粒がまだ残っているでしょうか、それとも一粒残さず食べているでしょうか?実はこのさりげない所に「気持ち」が表われているのです。1万人以上の非行少年・少女の矯正教育に携わってきたある専門家は、講演会やシンポジウム、カウンセリングなどで引っ張りだこですが、問題児を抱えて日夜悩み苦しんでいる親に対して、まず「今日配られた弁当のフタについているご飯粒をきれいに食べましたか?」と聞くそうです。何でそんな小さいことを、と思われそうですが、そんな小さいことに「物を大切にする心」「作ってくれた人に感謝する気持ち」が表われており、そこに心が行き届かない人が、もっと微妙で繊細な人間の心の動きの機微を感じ取れるはずがないというわけです。「大事を成すのに小事にこだわるな」というのも一理ありますが、「小事をおろそかにして大事は成せない」というのもまた真理なのです。
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