運がつく言葉⑰:「積善の家に余慶有り」

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 では、逆境の時、不遇の時、どのように身を処すればよいかというと、「積善」の道を行けばよいということになります。これは『易経』の言葉ですが、まさに「まかぬ種ははえない」の如く、「積善」が種となって、見えない所で蓄積され(陰徳・功労)、思わぬ形で自分に返って来て報いられる(余慶・善因善果)というわけです。
 大体、世界三大美女の1人と称された小野小町(後の2人はクレオパトラと楊貴妃ですが、一体誰がこれを決めたんでしょうね?)も老いては惨めな境遇だったと言われています。才知をうたわれ、紫式部のライバルとされた清少納言の晩年も哀れです。紫式部だって、『源氏物語』を著わして世人を惑わしたために、ひとたびは地獄に落ちたと言われていたようで、江戸時代の上田秋成が『雨月物語』に盛んに書いています(本当かどうかは知りませんが)。逆に中国最高の軍師と称される太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう、周建国における最大功労者)も、奥さんに見捨てられ、釣針をつけずに釣をしていて見出されたのは何と八十歳(「二倍暦」なら四十歳になりますが、いずれにしても「遅咲きの花」であることは間違いないでしょう)の時だと言います(ここからのんびりと釣をしている人を「太公望」と呼ぶようになり、大出世を遂げた呂尚の所に復縁を求めてやってきた元妻に対して、盆から水をこぼして、「覆水盆に返らず」と言ったことは有名です。これは英語でもThere’s no use crying over spilt milk.と言います)。まさに「全ては時の神次第」(アラブのことわざ。イスラムでは「インシャラー」という決まり文句があり、全ては「アッラーの思し召しのままに」という意味ですが、最後の最後は人間の力ではどうしようもない、神のみぞ知る世界だという一種のあきらめ・受け入れがあります。これは運命に対して悲劇的な戦いを挑むことを好んだ古代ギリシア人と対照的でしょう)といった感じですが、運に順境・逆境の波があるならば、逆境の時こそ、「自己投資」をし、自分をより高めてくれる「縁」を求め、「積善」を地道に重ねて、じっと「時」の到来を待つべきだということです。この時にジタバタしたり、何もしないで無為に過ごすというのは、来たるべき「時」の到来(「いつか」は神のみぞ知るとしても、「来ること」自体は必ずあることを知っておくべきでしょう)を知らないからなのです。
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