これは仏教の悟りの中心で、他の一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静と合わせて「四法印」(4つの重要な悟り)と呼ばれます。日本では他の3つに比べて、この「諸行無常」が特に親しまれています(これに対して、欧米メディアは「涅槃寂静〔ニルヴァーナ〕」を好んで使います)。『平家物語』の書き出し「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅雙樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす…」や、「国破れて、山河あり」の杜甫の詩「春望」なども、日本人の心に深くしみわたっているところでしょう。これはどんなに栄耀栄華を重ねても、それははかなく虚しいものだという、ちょっとニヒルな虚無感みたいなもので、『旧約聖書』でも知恵者ソロモンが「空の空、空の空、一切は空である」と何やら仏教的なことをうたっています。
ところが、こうした「形あるものはいつかは崩れる」「永遠に続くものは何もない」といったようなはかなさ、虚しさといったものは実は「消極的無常観」と呼ばれるものです(日本の「三大随筆」の第二に来る『方丈記』の無常観はこれであり、『平家物語』などと同じ精神に立っています)。これに対して、「万物は流転する」(ヘラクレイトス)のだから、今はどんなに逆境のどん底にあるとしても、これがいつまでも続くはずがない、必ず好転する道があるはずだ、という「積極的無常観」もあるのです(日本の「三大随筆」の第三に当たる『徒然草』の無常観はこれです)。これは「因縁果報」(仏教における発展原理・生成原理)の理論で言えば、まさしく「縁」の思想となります。人は縁によって幸にも不幸にもなり、順境から逆境へ、また逆も起こり得るというわけです。したがって、順調に物事が進んでいる人でも「勝って兜の緒を締めよ」、不遇をかこっている人でも「待てば海路の日和あり」というのは、暗黙のうちにこの「縁」による「変化」を感じ取っているからに他なりません。