運がつく言葉⑲:「どんな道でも進んでいかなければ山にたどり着かない」
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これは北欧のことわざです。「思い立ったら、始めてみないと意味がない」ということです。日本なら「千里の道も一歩から」(元々は老子に由来します)と言うところでしょう。よく現状からの逃避のために未来の自分を過信することがありますが(「今年はもう時間がないから、大学受験は来年に回そう」「2年かけたら出来ると思う」)、「未来の自分の可能性の根拠は今の自分にしかない」という厳然たる事実を心に留めておくべきです。今、確実な一歩を踏み出していない人は、1年後だろうか、2年後だろうが、千里先のゴールには間違いなく到達していないのです。今現在の状況をきちんと分析し、限られた時間を有効に使うべく、優先順位をつけ、最大限努力するという「今の自分にできる限りのこと」をできない人が、時間が経てば自然にできるようになることなどあり得ません(このことは「時間のマジック」によって実に簡単に誤解してしまうところです。これはちょうど、「原始地球のスープにおいて、電気火花による反応で、長い年月のうちに生命が自然発生した」という仮説が、「時間のマジック」によってスンナリ受け入れられたことに似ています。実際には、この仮説は確率論的に困難があると指摘されています)。「今の自分にできる限りのこと」をしている人であるならば、力及ばず、目標達成ができなかったとしても、それ以上のことはできないので、止むを得ないこととして納得することができます。少なくとも「やれるだけのことはやった」わけですから、「後悔だけはしない」ことになります。そして、こういう人ならさらに時間をかければ、より少ない時間の中ではできなかったことも、達成する可能性があると言えるのです。
「座して死を待つより、いさぎよく打って出るべし」と兵法学でも言いますが、「やるべきことをやり切ってダメなのか」、それとも「ただ何となく今までの延長でやっぱりダメなのか」は、同じ「ダメ」でも次につながる可能性の有無が違うのです。やるだけやってダメな人なら、別な勉強・仕事・目標なら成功することがいくらでもあるでしょう。やるべきことをやってもみないでダメな人なら、何をやってもダメでしょう。それはやるまでもないことです。また、ここで問題なのは、歩み出していない人も一歩だけ歩み出した人も、傍から見れば大差ないように見えてしまうことです。1年後、2年後、3年後には千里の差が生じる違いでも、最初の差はたった一歩に過ぎないのです(カオス理論では「初期条件のわずかな違いが決定的な違いを生む」として、これを「初期値鋭敏性」と呼んでいます)。