優柔不断を克服するための心理学④:要は「現時点でのベストの選択」の連続なのです
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結局、自らの知識、思考力を駆使して出せる限界は「現時点でのベストの選択」です。これ以上はやってもムダですから、後は考えません。ひたすら行動あるのみです。ところが、行動し、また新たな情報が入ってくると判断材料が変わってきて、別の結論が出ることもあります。時として正反対の結論になることもあるでしょう。それはそれでいいのです。あくまで「現時点での状況、情報に基づき、自らの知識、経験、思考力を駆使して出せる最大限ベストの結論」をその都度出していくわけです。経済学ではこれを消費者なら「効用最大化」、企業なら「利潤最大化」を目指すと表現しますが、日常的には誰もそんなことを考えたりはしません。そこまで「完全合理性」を持った人や企業が一体どこにいるのでしょう。ここは複雑系で言われているように「限定合理性」で考えるべきです。また、最大の社会学者マックス・ヴェーバーなら、その「エートス論」で「主観」における「形式合理性」「目的合理性」「価値合理性」(簡単に言えば、「主観における合理的判断」というところですな)を説くところです。「その時点、その時点でベストだと判断できる選択」(主観的にベストであっても、客観的にはベストではないことは当然しばしばあるでしょう。しかし、その時点では知り得ないのですから、仕方のないことです)を追求するのが、現時的な取り組み方ということになります。
【コラム】
「碁からは『都合の悪いことを運のせいにしない』ことも学んだ。麻雀では、偶然がかなり勝負を左右し、負けても、『今日はついていない』という理由で片づく。また、四人もいるので、勝者と敗者が必ずしもはっきりしない。碁では、必ず一方が勝者で、他方が敗者、勝敗の差は如実に現れる。しかも力の差がはっきり勝負に出る。負けたとすれば、運が悪いのではなく、自分の打った手が悪かったことになる。
麻雀では、誰かが和ってしまうと、点数を計算し点棒を渡してすぐガチャガチャと牌をかき混ぜてしまう。碁の場合は、一局終わると、敗因を検討する。そこに、次回の飛躍への可能性が出てくる。負けたのは、運のせいだという逃げ場所を断たれて、初めて自分の敗因・欠点に直面することになる。そして、『欠点とは、自分の伸びる可能性がある所だ』とおぼろげながら感じるようになった。
また、母との間で〝待ったなし〟のルールを厳格に守ったことも、非常によかった。どんな悪手(あくしゅ)でも、一度打った以上は、やり直しがきかない。その悪い状態の中で、次の手を考えていかなければならない。自然に、一手一手を後で悔いのないように、その時点での最善手を吟味して、打つようになった。このことから、私は自分の人生にとって、非常に大切なことを学んだ。人生にも、『待った』はない。宮本武蔵の『我が事において後悔せず』という言葉に、潜むことをおぼろげながらもつかんだ。そこで、与えられた時間、機会は悔いのないよう、できるだけ有意義に使おうと心がけるようになった。
さらに困難に直面したとき、結局、頼れるのは自分であること。決断とは、自分でやるべきで、他人を頼ってはいけないこと。自分で決断することにより、その結果についても責任を取れるものだということ。そのほか、学ぶところは多かった。」(『資格三冠王』黒川康正)