ナルキッソスと銀河鉄道の夜

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2つの作品には共通点と相違点があります。前者は恋人同士ではないこと。死に向かっていくこと。男性が女性の死にリレーの伴走者のように寄り添っていくこと。後者は恋愛要素の強さ。賢治とトシは実の兄妹ですが文学上の同志でもあり、トシは賢治の文学を理解できる数少ない感性と教養の持ち主です。しかも美人。賢治がトシに恋していたのは確かでしょう。しかしナルキッソスは2人とも死に向かっていくので、恋愛要素が乏しいのは否めません。皆無とは言いませんが、このゲームが恋愛ものだと私には思えないのです。仮にこのゲームを知らない外国人に紹介するなら、心中ものだと言うでしょう。2人は余命が短く、決してそれ自体が目的ではないにせよ、心中に近い死のドライブを始めます。銀河鉄道の夜はトシの死後、賢治がトシの魂を追って樺太まで行くも見つけることができず、帰路につく列車の中で構想が生まれました。この不朽の名作は書けなくなってしまった賢治の復活物語でもあるのです。それに対してナルキッソスは主人公の男の子の成長物語だと思います。私が一番気になったのは終末病棟から抜け出した彼の動機です。20歳になって免許取り立て。一番遊びたい盛りに薄暗い終末病棟の中で彼はきっと鬱屈していたでしょう。いきなりセツミから死の引き継ぎを受け、衝撃でもあったでしょう。無表情でテレビを見ているセツミを見て、いたたまれなくなったのもあるでしょう。もしかしたら彼は脱出のチャンスをうかがっていたのかもしれません。見舞いに来た父親の車を盗み、彼はセツミを連れて死出の旅を始めます。それがとっさに出た行動なのか計画的なのかはわかりませんが、この決断がどこから生まれたのか。父親はこの後、激怒します。作中では強調されていませんが、非常に身勝手な印象を受けました。普通ならまず病弱な息子を心配するはずです。裏を返せばその息子もやはり身勝手な若者のはずです。なので彼の動機はセツミではなく、自分自身にあったように思えてならないのです。押しつぶされそうな日常からの逃避。さして自分に好意的とも思えないセツミが直接の動機とは思えません。まして彼が一方的にセツミに恋しているようにも見えません。人生の始末をどこでどうつけるか。ナルキッソスはそれがメインテーマです。セツミにきれいに咲く花を見せてあげたいという純粋な気持ちがあったのでしょうが、彼がそれだけで動いたとはどうしても思えないのですが、その一方で身勝手な自分を変えたいという気持ちが強くあったのも確かだと思います。
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