名もなき花の幸せは

記事
コラム
                         北村 敦

道端に名もなき花が咲いていた。
腰を下ろして見るほどの小さい花だった。
しかし、その花は、
「誰が見ようが見まいが、私はここで精いっぱいに咲く!」
と言わんばかりに生気に溢れていた。

花の美しさに勝劣はない。
人が比べるだけ。
花は生きて咲いているだけで幸福なのだ。

他のものと比べて感じる幸不幸は、環境や条件で変化する。
また、一時の人気や他の人の評価によって得られる幸福感は、
朝日に照らされさっと消えてしまう、
はかない草の上の朝露のようなもの。

そんな相対的な幸福でなく、
何があっても変わらない幸せ、
何によっても崩されない幸せ、
何があろうとなかろうと、
今、生きていること自体が嬉しいと感じる、
そんな絶対的な幸福境涯を獲得したい。
そんな思いを抱き、私は、
二十歳の時より、これまで生きてきた。

私という存在は、例えるなら、「道端に咲く名もなき花」だ。

いや、花と呼んでももらえない、「雑草(ざっそう)」であるかもしれない。
しかし、そんな名もなき「雑草」であったにしても、
私は私として、あなたはあなたとして、
この世で咲かすべき、「幸せの花」が必ずある。

私は、残された人生を、
たとえ誰に認められなくとも、
自分で自分を讃(たた)えゆく人生を創(つく)りゆきたい。

だから、私は、いかなる障害(しょうがい)や苦難(くなん)があろうと、
自分自身の「幸せの花」を咲かせることを諦めるつもりはない。
自分自身の「幸せの歌」を歌わないではいられない。

何歳になろうと、「希望」を失くさずに、
やがて訪れるであろう死の瞬間まで、
毎日、自分自身を表現しながら、
「幸せの花」を精一杯咲かせたいと思う。

誰かに勇気を与え、誰かを笑顔にするような、
そんな「幸せを呼ぶ花」を。




サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら