共にいなくても

共にいなくても

記事
コラム
以前、物理的に共に過ごしていない状態でも、
​
エネルギーを送り合う見えない交流が
​
互いに影響をもたらす体験をする機会が与えられた。
​
​
​
お互いに離れて暮らしているとしても、
​
命が誰かに意識を向ける時間は、
​
決して何もできない時間じゃない。
​
​
​
見える交流の形か、見えない交流の形か。
​
​
​
その違いはあっても、生命と生命の関係にとって、
​
距離はあまり関係ないのかもしれない。
​
​
​
人の肉体部分は永遠には生きられない。
​
​
​
最近、いつまで生きられるか分からなくなるような症状を
​
抱える命と関わる中で、湧き上がってきたもの。
​
​
​
この文章を読む方にも、ご家族や親族、親しい人達の中で、
​
そんな症状と直面することになった方が
​
いらっしゃるかもしれません。
​
​
​
漫然と心地好く過ごすこと以上に、
​
何となく健康的に長生きすること以上に。
​
​
​
もう互いの関係の中で、これ以上の喜びはないと、
​
全く心残りが存在しなくなるような、
​
そんな濃密な交流を込み上げてくる生命の純粋な
​
熱さに沿って思い切り過ごしたいなと、よく感じる。
​
​
​
フィクション作品のように、自分の命と引き換えに、
​
あらゆる希望の奇跡を自由に相手に起こしてあげる、
​
ということはできなくても、そういった命を懸けるくらいの
​
熱さで本気で在れる濃密な時間を生きるということ。
​
​
​
長生きが必ずしも正しいわけでも、
​
価値が高いわけでもない。
​
​
​
たとえ短くても、そんなふうに思い切り生きる体験、
​
本気で在れる時間と、その熱さと輝きで満ち溢れる
​
思い出を互いに受け取り合って、
​
肉体がお別れを迎えられる方が命に響く。
​
​
​
だから、今日も、これからも、
​
そうした時間や在り方を大切に過ごす。
​
​
​
もし物理的に共に過ごせくても、
​
今日という一日の中で、
​
大切な命に大切な意識を向けてみて下さい。
​
​
​
今日という時間の中で、大切にしたい命へ
​
意識を向ける時間が、皆にとって、世界全体にとって、
​
温かな時間になりますように。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す