小説のハウツー本は読んだが腕が足りないので編集者になる

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小説
を始めました。

 値段が破格ですが、これは実績づくりのためです。
誰が好き好んでこんな値段で受けるんだって感じですが、昔はタダでやってました。いわゆる友人であり、ファン0号のためでした。

「俺さぁ、ラノベ読んで感動したんだよね」「小説を書くから」
と言った友人がいた時、おそらく殆どの人が「書けるものなら書いてみれば」と言うのではないでしょうか?世の中には思うだけで実際にアウトプットに到れる人間なんてそうそういません。頭の中では完璧なストーリーを組み立てられても実際に最後まで創りきれる人間は1%もいないのではないでしょうか?私もできない側の人で、創作は時間の掛からないものしかできませんでした。
 しかし、彼は10数万字書くからと言ったその数週間後、ほんとに書いてきました。どっさり。ほんとに10数万字そのまま賞に応募できるものを。自信の笑みを浮かべて。
 ちなみに、彼とは超仲良しというわけでもなく、なんと出会って数週間くらいでした。今の世の中、娯楽に溢れ楽しいものはたくさんあります。それは文学とりわけ小説に関しては山ほど。いったい誰が好き好んで素人の小説を十数万字を読むのでしょうか?一般人の5割は遠慮し、4割は苦笑しながら冒頭数ページ読んで「オモシロカッタヨ」と伝え、残り0.9割が全部読んだ上で「ツマラナイヨー」で終わるでしょう。ただ、きっと1%は熱に浮かされ熟読してしまうのではないでしょうか?私はそれでした。

熱意が心地よい/熱意に打たれて

 私はそれを一日かけずに読みました。大学生がいくら暇とはいえ、驚異のスピードだったと思います。それだけ「ほんとに書いてきやがったあの馬鹿!」という感情が強かったのです。できたてほやほやの小説を冷ますのがもったいないと、その熱意ごと飲み干すような感覚でした。
 ただ、作品は面白くありませんでした。美味しくない。彼の処女作から才能は感じられません。しかし私はそれでもワクワクしていました。本物のモチベーションを持った奴がいる。10数万字をこの期間で用意してくるやつがいる!と感動していたのです。
 その時の感覚は筆舌に尽くしがたいですが、無理に言うのなら「一枚かませろ」かもしれません。大成するかもしれない友人の人生の1ページに自分がいるかもしれないことに喜びを見言い出し、いつか本屋に並ぶ友人の小説を見て「コレネ、ワタシガ、アドバイス、シタンダヨ」と得意げになる未来を想像したのかもしれません。ただ単に教えたがりな性格で、それが小説分野にも適用されたのかもしれませんが、以降彼の小説を何作品も、十数万字読み続けアドバイスしていったのだから、私は物好きには代わりありません。

創作者としての喜び

 創作には様々な喜びがありますが、私は2つあげたいと思います。一つは世の中に作品をだして、それが認められて評価されること。こちらは一人でもできます。実際に作品を作って見せればよいのですから。こちらは私はイラストや簡易的なシナリオで実践しています。ついでに発生するコメントや創作物のやり取りも楽しいものでしょう。
 ではもう一つの面白いものとは何か?それはダイヤを磨くことであり、石の中から裸婦の姿を掘り出すことであり、「これが面白いのではないか?これこそが完成形なのではないか」という到達点に至ることではないでしょうか?これは、辛く険しいものです。面白いものとはなんぞや?という核心に触れようと藻掻くことが要求されます。物語に関わる全ての人が一度は思う「面白いのってなんだ……」という問い。時には耳をふさぎたい問いにもなりえます。
 なんとかその辛さだけ味わうことなく、ものを完成した喜びに震えることはできないでしょうか。もちろんそんなことを考えながら私は友人の小説を添削していたわけではありません。ただ、盲点でした。小説でいうと書き手は辛く険しいかもしれませんが、読んでアドバイスする編集者はその5%の苦しみも感じていなかったのです。言われてみれば当たり前。しかし、作品が完成したときには自己満足は50%くらいもらえます。総作業量は99.9:0.01くらいです。恐ろしいですね。自己満足の不正受給です。

編集者としての喜び

 もちろん、これは創作者としての喜びを山分けしているだけで、実際にデビューしてからの売上はすべて彼のものです。0.01%ももらえません。金額の面だけでみれば体の良い小間使いは私の方でした。無料で英語を翻訳してくれるAIのような存在だったかも知れません。
 ただ、こうして私は編集者としての喜びに目覚めてしまったのです。世界観に関する考察のためにシェイクスピアや重厚なSF小説を読んでいる間に彼はせっせと小説を作ってくれる!私が知識のタンス預金を作っている間に彼が農作業をしている気分です。作物は二人で山分け。なんと恐ろしい!……全然恐ろしくはありませんが、喜び的にはそれくらいなのです。


最後に

 このときの喜びを思い出したので、サービスを始めてみました。実際、ネットの海、変人が数人いて、そんな変人に声をかける奇特な方がいてもいいんじゃないかと思い立って始めてみた次第でした。あのときの熱意をもう一度味わいたいのがこのブログの作者です。共感したのであれば、是非ご依頼ください。十数万字の熱意を持って!


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