教科書のファッション史は、「嘘」なのか?

教科書のファッション史は、「嘘」なのか?

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美容・ファッション
日本におけるファッション史の教科書を開くと、驚くほど整然とした年表が並んでいる。

「アイビー → ニュートラ → ハマトラ → DCブランド → ボディコン」。

まるで一本の道を、時代が行儀よく歩いてきたかのような書かれ方だ。

だが、その渦中を実際に生きた人間からすると、この年表には強烈な違和感がある。整理されすぎているのだ。当事者たちが抱えていた反発も、嫉妬も、熱狂も、危うさも、すべて綺麗に脱色された後の姿でしかない。

私は1960年代生まれ。70年代、80年代、90年代のカルチャーとファッションを、資料としてではなく、自分の体温で体験してきた世代だ。今日はその「現場の感覚」と、9月から始める有料アーカイブについて、少し書いておきたい。

メディアの記号と、現場の体感のズレ

まず、私自身の話をしておく。

私がニュートラにハマったのは高校時代。JJを読み込み、オールナイトフジに夢中になっていた頃だ。あの頃のステイタスといえば、読者モデル(もうすでにあった)か、オールナイトフジへの出演。とはいえ私はまだ高校生。とにかく背伸びしたかったのだ。スキー部、テニス部...そんな大学生カルチャーの真っ只中に、高校生の身分で片足を突っ込んでいたのだ。だからこそ、女子大生に見られる必要もあった。笑。そして、その世界で男子大学生たちにウケていたファッションこそが、ニュートラだった。

ニュートラって何?と思う方もおられるだろう。

王道といえば、金ボタンのダブルジャケットに、エンジェルフライト。足元はサンローランのウェッジ、バッグはヴィトンのボストン、首元にはエルメスのスカーフ。インナーには鎖柄のシャツを合わせ、冬になればそこにムートンを羽織る。サーファー派の場合は、レインスプーナー(裏アロハ)のシャツ。6枚はぎのスエードスカートや、トニーラマのブーツあたりが定番だった。

一言にニュートラと言っても、実際には様々なテイストが混在していたのだ。お嬢様寄りの正統派もいれば、サーファー寄りの崩し派もいる。結局、細かく枝分かれしていたはずのものが、ざっくりと一つの記号にまとめられてしまっているのだ。それこそが、この後のハマトラとの混同にもつながる...メディアの記号化のクセなのだと思う。

余談。その足で通っていたのが、六本木のキサナドゥやネペンタ、レキシントンクィーンといったディスコ。笑。週末になれば、大学のサークル主催の、今でいう合コンのような集まりにもよく顔を出していたし、スキーシーズンになれば苗場に通い詰めた。

これはちょっとしたエピソードだけど、あの頃の苗場の駐車場も、今思えばすごい光景だった。ポルシェは4駆だからまだいいものの、フェラーリで乗りつけてくる強者もいて、苗場プリンスの駐車場で雪にはまり、立ち往生していたのを覚えている。今この話をすると「嘘でしょ」と驚かれるのだけど(笑)、あれもまた、バブルという時代の空気そのものだった。

そして、お嬢様的な記号だけでは満足できなくなった者たちが身を投じたのが、黒の衝撃...ギャルソン、ヨウジだ。あの熱狂は、単なるトレンドの推移として説明できるものではない。既存の「かわいい」「上品」という価値観そのものへの、静かな、しかし確かな反逆だった。

メディアが作った記号と、現場で服を着ていた人間たちの体感には、常にズレがある。そのズレこそが、本当のファッション史だと私は思っている。そして、そのズレを言葉にできるのは、当事者として現場にいた人間だけだ。

なぜ今、このアーカイブを立ち上げるのか


理由は三つある。

一つ目は、一次情報が失われつつあることへの危機感だ。70〜80年代の熱狂を、現場で作り、実際に纏っていた世代の生きた記憶が、均一化され、ファスト化された情報の波の中に、静かに埋もれようとしている。誰かが言葉にして残さなければ、あの体温は永遠に失われる。

二つ目は、現代の服作りに必要な構造美の再解釈だ。これは単なる昔語りのノスタルジーではない。当時のパターン、テキスタイル、日本の縫製のレベルの高さ...美意識の構造そのものを解剖し、2026年以降の現代ファッションへの一つのリファレンスとして手渡すための作業だと考えている。

三つ目は、目利きとしての決意だ。年齢は単なる記号にすぎない。時代を駆け抜けてきた審美眼を通して、日本の服飾史という地層を、自分の手で掘り起こしていきたい。

9月からの有料アーカイブについて

こうした理由から、9月(第3土曜日)より本アーカイブを有料コンテンツとして立ち上げることにした。

教科書には載らない、現場の温度と記憶。メディアの記号の裏にあった、当事者だけが知る反発や熱狂。そして、それを2026年の今の視点で読み解き直す、目利きとしての解剖作業....それらを、月一のペースで綴っていく。

現在のファッションは、70年代以降のスタイルに強く影響を受けているものがほとんどだ。

先日、古着屋でセリーヌの鎖柄のシャツを見つけた。ふと見た瞬間、「これは今のものだ」と思った。そして次の瞬間、「久々に、欲しい」と思っている自分がいた。次に行った時、まだ店にあったら買おう、と思っている。

やはり、過去のリソースは今も求められているのだ。ただし、そのままの形ではなく、現代風にアレンジされて。だけど、そのアレンジをするためには、まず過去のリソースそのものを知らなければ始まらない。知らなければ、引用することも、崩すことも、更新することもできないのだ。

もっとも、今の世代がそれを知る機会は、驚くほど少なくなっている。雑誌をめくることも、写真集を開くこともない世代にとって、70〜80年代のリアルは、検索してもなかなか出てこない領域だからだ。

面白いのは、私の知る20代前半の子たちは、古着屋巡りの中で、サンローランやエルメスのネクタイや小物を、ブランド名も知らないまま、本能的に探し当てていたことだ。「それ、ブランドものだよ」と教えると、「え〜っ」と本気で驚いていた。知識はなくても、いいものを見極める目そのものは、ちゃんと備わっている。だからこそ、当時を生きた人間の手で、言葉と記憶を、この世代に手渡しておく意味があると思う。

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