ファッションに「正解の平均値」はない

ファッションに「正解の平均値」はない

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美容・ファッション
データ至上主義と勘頼りの間で、置き去りにされてきたもの

ファッション業界が「データ」を語るようになって久しい。

売れ筋ランキング、SNSのエンゲージメント数、検索ワードのトレンド分析。デジタル化の波に乗って、業界はかつてなかったほど多くの数字を手にするようになった。

しかし、率直に言う。

その数字で、本当に「売れる服」が作れているのか?答えはNoだ。むしろ、数字を追いかけるほど、服はつまらなくなっているのではないか...。

エビデンスゼロの時代を、私は生きていた

少し昔の話をする。

私がアパレルの企画に携わっていた頃、データなど存在しなかった。ITもない時代だ。何が売れるかを判断する根拠は、その週の売り上げ日報とバイヤーやMDの「長年の勘」だった。現場の空気、お得意様の反応、百貨店のバイヤーが「今年はこれが来る」と言う一言。それがすべてだった。

エビデンスなど一切なかった、と言い切っていい。

今思えば滑稽だが、それでも面白い服は生まれていた。勘には、長年の経験と感性が凝縮されていた。数字ではなく、人間の目と皮膚感覚が、商品を作っていた。

しかし今になって、なぜあの時代に面白い服が生まれていたのか、と問うてみると....渦中にいた私自身も、正直よくわからなかった。感覚で動いていたから、言葉にならなかった。

「暗黙知(タシット・ノレッジ)」という概念がある。言語化できないけれど、確かに存在する知識や感覚のことだ。職人の技、料理人の味付け、そしてベテランバイヤーの「今年はこれが来る」という確信...。これらはすべて暗黙知だ。エビデンスゼロでも面白い服が生まれていたのは、長年の経験が身体に染み込んだ暗黙知が、データの代わりに機能していたからだと、今なら言える。数字がなくても、皮膚感覚の中に膨大な情報が蓄積されていた。

しかし暗黙知には、致命的な弱点がある。「その人の中にしかない」ことだ。言語化できないから、教えられない。引き継げない。マニュアルにならない。ベテランが現場を去った瞬間に、その知識は消える。

今の業界がデータに走るのは、ある意味必然だったのかもしれない。暗黙知を失った穴を、数字で埋めようとしている。しかしデータは、暗黙知の代替にはならない。昨日の天気を並べても、明日の空は読めないように。

勘の正体は暗黙知だった。そしてそれは、引き継がれなかった。その喪失が、今のファッション業界のつまらなさの、遠因のひとつではないかと私は思っている。

では、なぜ暗黙知は引き継がれなかったのか。

ここに、私自身の反省がある。

バブル時代を生きた私は、正直に言うと、完全に自己中な人間だった。作れば売れる時代だった。市場は熱狂していた。次から次へと仕事があり、それをこなすことで精一杯だった。誰かに教える、感覚を言語化して伝える、などということは、頭の片隅にもなかった。必要がなかったのだ。売れる時代には、伝承より消費が優先される。暗黙知は、使い捨てられた。

しかし後年になって、その考えが変わった。あの熱気あふれる時代の感覚を、私たちは後世に引き継がなかった。引き継ごうとしなかった。その事実が、じわじわと胸に重くなってきた。このブログを書いている理由のひとつも、実はそこにあるのかもしれない。30年のキャリアで身体に染み込んだもの、言葉にならなかったもの、当時は意識すらしていなかったもの...。それを今、必死に言語化しようとしている。遅すぎた、という気持ちがないとは言わない。しかしだからこそ、心より後世に伝えたいと思っている

暗黙知は、語られなければ消える。このブログが、その小さな抵抗であればいいと思っている。

データ至上主義という、新しい思考停止

時代は変わり、業界にデータが入ってきた。しかしここに、大きな落とし穴がある。データは「過去に何が売れたか」を教えてくれる。しかし「これから何が売れるか」は、データだけでは見えない。さらに問題なのは、データを追いかけることで、思考が停止することだ。「昨年のこの時期はこれが売れた」「競合他社のランキング上位はこれだ」。その数字を並べて、企画会議が終わる。誰も「でも、これは本当に面白いのか」と問わない。データが免罪符になって、判断を数字に丸投げする。

これは勘頼りとは別の意味で、思考停止だ。

データ分析が生み出すのは、突き詰めると「平均値」だ。多くの人が買ったもの、多くの人が「いいね」を押したもの、多くの人が検索したもの。それらを集計すると、必然的に「平均的な好み」が浮かび上がる。その平均値に合わせて服を作ると、誰も傷つかないが、誰の心にも刺さらない服ができあがる。無難で、安全で、つまらない服だ。

統計学に「平均への回帰」という概念がある。極端な値は、繰り返すうちに平均に近づいていく、という現象だ。ファッションに当てはめると、データを追いかけるほど、服はどんどん平均に引き寄せられていく。個性が消え、突出したものが生まれなくなる。

「売れる服」を追いかけた結果、「誰も欲しがらない服」が量産される。これが今、起きていることだ。

数字では測れない「私らしさ」の正体

では、データの反対側には何があるのか。

心理学と統計学に「潜在変数」という概念がある。少し専門的な言葉だが、意味はシンプルだ。直接は見えないけれど、確かに存在する要因のことだ。

例えば「自己肯定感」は数字で測れない。しかし自己肯定感が高い人と低い人では、服の選び方は明らかに違う。「生き方の軸」も数字にならない。しかしそれが明確な人は、トレンドに流されない独自のスタイルを持っている。
「私らしさ」も、潜在変数だ。数字には出てこない。アンケートで聞いても、正確には答えられない。しかし確実に存在していて、服選びのすべてに影響している

データ至上主義の最大の欠点は、この潜在変数を完全に無視することだ。数字にならないものは存在しない、とばかりに切り捨てる。その結果、最も大切なものが抜け落ちた服作りになる。

では、潜在変数をどう扱えばいいのか。

答えは、言語化することだ。

数字にならなくても、言葉にはなる。「なぜこの服を選んだのか」「この服を着ると、どんな気持ちになるか」「この色を見ると、何を思い出すか」...そういった問いを丁寧に積み重ねていくと、その人の「私らしさ」の輪郭が見えてくる。

これは、ブランドコンサルティングの現場でも同じだ。数字だけを見ていたら、ブランドの本質は見えない。「このブランドが存在することで、誰の人生がどう変わるのか」。その問いに答えられた時、初めてブランドの軸が定まるのではないか。

個人のスタイルも、ブランドも、言語化されていない「らしさ」を掘り起こす作業が、すべての出発点になる。

では、現場はどうすればいい?

アパレルの企画・MD・バイヤーの立場から考えると、データと潜在変数の両方を扱う視点が、これからはますます必要になる。

具体的には、売れ筋データを見ながらも、「なぜこれが売れたのか」という問いを止めないこと。数字の裏にある顧客の感情や文脈を読もうとすること。そして「平均値に合わせる」のではなく、「特定の誰かに深く刺さる」ことを目指すことだ。

マーケティングの世界では「ペルソナ設定」という手法があるが、多くの場合それは表面的な属性(年齢・性別・年収)に止まっている。そこに「その人の潜在変数」...価値観、自己イメージ、服に何を求めているか、などをつけ加えた時、初めてペルソナは「生きた人間」になる。

データは地図だ。しかし地図だけでは、目的地には辿り着けない。地図を読みながら、自分の足で歩く感覚。その両方が揃って初めて、本当に良い服作りができるはずだ。

勘とデータの、その先へ

理想は、長年の経験と感性から生まれた「勘」を、誰もが使える言葉に置き換えること。そしてデータは、その判断を裏付ける補助線として使う。主役はあくまで人間の感覚だ。最終的に問うべきは、シンプルにこれだけだ。

「この服を着た人の、人生が少し豊かになるか?」

数字はその問いに答えてくれない。しかし、その問いを持ち続ける人間だけが、数字を正しく使える。ファッションは感性のビジネスだ。しかし感性は、鍛えられる。深められる。言語化できる。

数字に魂を売らず、かといって勘だけに頼らず...。その緊張感の中にこそ、本当に面白い服が生まれる。


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