(1)問題
① 現代の世界では,国境を越えた自由な人の移動は原則として認められていない。人口密度が高い中央集権的な社会では,土地と人間は中央権力によって捕捉され,測られ,登録されることになる。人が他者に縛られずに移動できる行為は,旅行だけである。しかし,旅の終点が起点と異なれば,人はそこで再び登録される。
② そのような制限があってもなお,東南アジアの漁民が別の島々に渡ったように,そしてアフリカの農民が山の向こう側の森に火を入れたように,今でも人は移動し続けている。仕事がうまくいって家族を呼び寄せたり,新しい家族ができたり,留学先の国で落ち着いたり,裏切りや失望を経験して母国の村に戻ったりと,失印は様々であるが,第二章で見たように,国境を越えた人間の移動はますます「南の現象」になりつつある。
③ そこで,様々な場所において定住者と移民の出会いが生まれることになる。受け入れる定住者の側と参入する移民の側の関係を律するために,欧米諸国の多くは多文化主義と呼ばれる政策原理を採用してきた。その原理を最も体系的に唱道したのは,カナダの政治学者ウィル・キムリッカだろう。だが,その政策は,多文化主義という言葉のイメージほどに寛容なものではなかった。キムリッカは,自発的に自分の国を出て移住してきた人々は,移住先の文化に徐々に統合されていくべきであり,エスニックな母国語での公教育を制度的に要求したりする資格はないと主張した。母国を捨てた者に対して,受入国が費用を負担してまで民族教育を施す必要はないというのである。
④ 高度な自治権の保障が検討されるべきは,自分たちは独自のネイションであると主張できるような大規模な集団,たとえばカナダのフランス語圏コミュニティなどの場合に限られる。その他,移住を強要されたアフリカ系アメリカ人,あるいはジェノサイドの対象となった先住アメリカ人などの場合は道義的に慎重な対応が必要となるだろうが,自分の意思で移住してきた人々とその子どもたちについては,受入社会への統合が基本となる。それぞれの出自の文化を尊重するのは,統合をより円滑なものにするためである。
⑤ だが,マイノリティの統合を進める手段だったはずの多文化共生も,二〇〇一年の九・一一事件を転換として,欧米世界で激しいバッシングを受けるようになった。少数派の文化の存在を認める多文化主義によって少数派が甘やかされ、そこから秩序を破壊する原理主義者が育っていったというのである。少数派の側もパターナリステイックな多文化主義秩序を擁護しようとはしなかった。二十一紀に入って多文化主義は左右から批判を受け,その社会規範としての力は一気に弱まった。
⑥ 政策としての多文化主義は終わったかもしれない。しかし,統合を求めない多文化主義,あるいは,規模の大小を問わず文化的な集団が互いを尊重して共存する「状態」としての多文化共生を想定することはできないものだろうか。そのような着想を得たのは、筆者が東京の下町で過ごしていたときだった。耳に入る言葉で判断すると商店街を歩くのは日本人が多数派だと思われるが,フイリピン人,ネパール人,パキスタン人,中国人,韓国人,欧米人などの定住者の姿も目立つ。買い物での小銭のやりとりを除いて,地元の人々と移民たちが積極的に交わっている様子はない。よく観察すると,出身地を異にする移民たち同士もそうだ。しかし敵意は感じられない。かといって,互いにまったく関心がないわけでもない。お祭りでサンバの山車が商店街を練り歩くと,少し離れたところから,皆が好奇心たっぷりに眺めている。距離を保ちながらお互いに何かが響くような感覚は,意外に心地よいものである。
⑦ イギリスの植民地官吏J・S・ファーニバルは,『植民地政策と実践』(一九四八年)という本のなかで,東南アジア社会を「複合社会」と特徴づけた。多数派の地元民(たとえばマレー人),そして少数派のインド人,中国人などは,市場で取り引きはするけれども,国民的な一体感をもつことはない。「かれらは混じり合うが,結びつかない」のである。植民地社会の底流にはイギリス人の権力者にはわからない結びつきもあっただろうが,分かれて暮らしながら共存するという構図は,現在の東南アジアの国々の都市社会でも見て取ることができる。
⑧ 第三章で触れたように,アフリカ大陸では多くの中国人移民が幕らしている。アフリカ人も中国人も,内輪では相手の悪口を言うが,暴力的な対立にまで発展することは多くないし,そもそも中国人の商店には地元の顧客がいるから商売が成立している。逆の構図として,中国の都市に商品を買い付けに来るアフリカ人商人も目立つ。アフリカ人の滞在者は中国人の差別的な振る舞いに怒るが,自分が中国人になりたいと願うわけではない。
⑨ 西洋世界の多文化主義は終わったかもしれないが,アフリカやアジアの国民国家のレベルでは、「よそよそしい共存」が成立している空間がある。抽象的な個人の社会契約にもとづいて制度を設計しようとするガバナンスの伝統は,著しく西洋的なものである。ひるがえって非西洋世界の国民国家には,良かれ悪しかれ,移民政策のグランドセオリーは存在しない。恭順しない者は追い出そうと威嚇するが,本当に追い出すとは限らない。そこで生まれる共存の状態は,壊れやすい均衡だとも言える。すなわち,平和的な共存も暴力的な排除も,行き当たりばったりなのである。
⑩ このような状態の積極的な側面を理念型として描き出すことはできないだろうか。つまり,抽象的な個人ではなく,多様な人間の存在を前提として,そのような人々が自由に参入し退出するような社会の仕組みを,思考実験として提案することはできないものだろうか。それは,ルソーの野生人の世界に対応するガバナンスの秩序を考えることでもあるだろう。
⑪ 人々は移動し,共存する。小競り合いが起きれば,立ち去ることもある。人々の動きを妨げる障壁は存在しない。そのようなルソー的な自由社会の編成原理に近いものを描き出したのが,インド系市民としてマレーシアに生まれた哲学者チャンドラン・クカサスである。
⑫ クカサスの『リベラルな群島一多様性と自由の理論』(二〇〇三年)の前提は,人間の多様性――価値というより事実として――を承認することである。人間が多様だからこそ,他者の事柄には干渉しないというリベラリズムの思考が大切になる。リベラリズムの根幹には,結社の自由,そこから脱退する自由,そして集団どうしの相互的な寛容の原則がある。クカサスによれば,結社の自由が根本的な価値だと考えるべき根拠は,まずもって良心の自由にあるという。自分の良心に従う行動が他者とは異なる場合,人は行動を強制されてはならない。それは人々が別々に行動することを意味する。そうやって多様な人間が多様な結社を形成するのだが,これらは互いに「結合」するのではなく,違いを認めて「共存」することが求められる。こうして,成員に自由を保障するリベラルな社会は,結合し重なり合う多くの権威によって構成される「群島」として自己の姿を現すことになる。
⑬ この仕組みがうまく機能するためには,組織から脱退する自由が保障されるとともに,脱退した個人を受け入れてくれる他の組織が存在することが必要である。クカサスによれば,主権というものは程度の問題であり,政府もまた数多くの結社のひとつにすぎない。世界政府が存在しない国際社会において,出入国管理がすべて撤廃されたと仮定すると,その姿はクカサスが考える理念的なリベラル社会に近いものになるだろう。
⑭ 国際社会は群島一―海に幾多の島がある一―である。それぞれの島は分離した領域をなし,海によって他の島々と隔てられている。ある島の状況や行く末に他の島々は関心をもたない。〔…〕これらの島に住む人々は,願望も気質も互いに異なっている。〔…〕自分の居場所に満足しており,大洋に乗り出す危険を冒そうとは思いもしない者がいる一方で、最高の楽園のような環境を捨てて,海の向こうの未知の機会を求めて旅たとうとそわそわしている者もいる。住民たちには島を離れる自由があり,かくして海には船が点在している。既存の航路にそって動く船もあるし,海図がない場所に迷い込む船もあるのだが,一目でわかる目的を示しながら動く船はない。
(Chandran Kukathas,The Riberal Archiperago,Oxford University, Press,2003,pp。28-9)
⑮ かつての自由な海洋世界の秩序は,実際にこのようなものだったのかもしれない。国と国の経済格差が縮小することを,そして,「人を殺してはならない」といった基礎的な人倫の規範をすべての個人と集団が受け入れることを前提として,この暗喩が描き出すような自由な世界の現前を夢みることは楽しい。国内を旅するように世界を旅し,どこかで故郷を見つけるのだ。
⑯ 問題なのは,そのような移動,結社,脱退の自由が今ここで支配的であるとは言えないという現実である。ミャンマーのロヒンギャたちは生まれ育った村から迫い出される。逆に,パレスチナのガザで暮らす人々は,狭い空間に閉じ込められ,砲撃の犠牲になる。東京の下町の「よそよそしい共存」と同じ時間に,新大久保では暴力的な街宣行動があったし動きようがない者が追い出され,動きたい者が閉じ込められる。さらに,潜行する人身売買は国際関係の地下茎を形成している。自発的な移動の権利が否定される事態は,その権利の大切さを浮き彫りにしているとも言える。
⑰ 植民地化以前のアフリカや東南アジアには,硬質な中央集権国家はあまり存在していなかった。西洋との接触以前,千年単位の歴史によって形づくられた流動的で分散的な小人口社会の特質は,現代のアフリカ連合(AU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)などの地域機構の組織原理にも影響を与えているように思う。かつて欧州連合(EU)は,ギリシアやポルトガルに対して緊縮政策を要求し,組織内の小国を無理矢理締め付けるような態度をとって求心性を弱めたが,こういうスタイルの政治はAUやASEANでは考えられない。境界線にはあまりこだわらず,組織内の大国と小国が共存しながら,コンセンサスで物事を決めていく。外から見ているとまどろっこしく,あまり効率的ではないかもしれないが,協調的な枠組みで内部のもめ事を解決していくスタイルは,アフリカと東南アジアの地域機構ではそれなりに定着している。
⑱ 西洋世界の多文化主義の実験は破綻したかもしれないが,諦めるのは早すぎる。西洋世界に向けるのと同じだけの実践的,思想的な好奇心をもって,非西洋世界における寛容と共存の実験に目を向けていこう。
⑲ 異物を排除せず,人々の多様な結社の動きを妨げず,それらの共存を促進しようとする国は現実に存在しうるだろうか。領域の内部で複数の主権が共存する多元的な国家の構想は,主権国家は単一かつ絶対でなければならないと考える人々を不安にさせるだろう。第二次世界大戦前,ドイツの政治学者カール・シュミットは,『政治的なものの概念』(一九三二年)という著作で多元的国家の構想を排撃し,非常事態における単一の主権者による意思決定を擁護する論陣を張ったものである。
⑳ だが,二十一世紀の今日,意思決定システムを分散させ,多様な人々がグループを自主的に結成し,解散し,移動していくという仕組みそのものは,すでに世界の様々な場所で十分に定着している。第二次世界大戦後,「南」の国々に対して国家意思としての介入戦争を何度も主導してきた米国においても,分権的なシステムは規範的な地位を獲得している。米国は五〇の州に強い権限を与えている連邦国家であるが,それだけではない。米国の先端のビジネスモデルそのものが,本章で述べてきた小人口世界の生活様式と似ている多元的で流動的な様式に近づきつつあるのだ。マサチューセッツ工科大学(MIT)の経営学者トマス・マローンは,人類世界は孤立,分散,自由に特徴づけられる狩猟採集民の世界から,中央集権的な階層社会へと向かい,いま再び分散的なネットワーク社会へと移行しつつあると主張する。「命令と管理」にもとづく厳格な階層制度は軍隊には向いているかもしれないが,情報ネットワーク社会には適合しない。イノベーションを続けて前進しようとすれば,分散的なシステム,すなわち関係する者を意思決定に参加させることで一人一人の創造性,主体性,責任感を強め,組織の柔軟性を確保することが必須の条件になる。最新のネットワーク・ビジネスの動きは,人間が遠い昔に手放した自由を取り戻すことでもある。階層社会を解体しても個人が孤立しないのは,印刷物から電信・電話,インターネットヘと,情報伝達のコストが劇的に低下したおかげである。
21 マローンによれば,これからの指導者に求められるのは,「命令と管理」から「調整と育成」へと組織原理をシフトさせることだという。成員に命令するのではなく,独立して動く自由で小規模なユニットをつなげ,人々の問題解決能力を育てていくのである。軍隊やインフラが消滅するわけではないから,「命令と管理」のシステムが完全に消えることはない。しかし,先端産業の重心は移動していくだろう。「調整と育成」が無政府状態を意味するわけではない。指導者が紛争をおさめ,個人の才能と創造力を生かし,価値観を提示できる組織には,多様な人間が集まり,自生的な秩序が生まれるだろう。小人口世界において優れた指導者がいる首長国に臣民が集まるのと同じロジックである。
(峯陽一『2100年の世界地図―アフラシアの時代』より)
設問I この文章を三〇〇字以上三六〇字以内で要約しなさい。
設問Ⅱ 集団に属するということについて,この文章をふまえて,あなたの考えを三二〇字以上四〇〇字以内で述べなさい。
(2)解答例
設問Ⅰ
欧米諸国の多文化主義は21紀に入って終わったが非西洋世界での寛容と共存の実験、統合を求めずに文化的な集団が互いを尊重して共存する多文化共生について分散的なシステムに注目する。これは多様な人間が自由に参入し退出する社会の仕組みである。これが機能するためには組織から脱退する自由が保障され、脱退した個人を受け入れてくれる他の組織の存在が必要である。クカサスによれば良心に従う行動が他者とは異なる場合,人々は行動を強制されず別々に行動する。こうして多様な人間が多様な結社を形成し,これらは互いに違いを認めて共存するリベラルな社会は結合し重なり合う多くの権威によって構成される。イノベーションの進展にもこうした分散的なネットワークが必須である。指導者には「命令と管理」から「調整と育成」へと組織原理をシフトさせることが求められる。
(360字)
設問Ⅱ
筆者の言う多様な人間が自由に参入し退出する社会は学校が挙げられる。高等学校では普通科のほかに工業高校、商業高校、農業高校など多彩な選択肢がある。今でもそれらの高校は存在するが大半の中学生は大学入学を意識して普通科を選択する。私も他の進路を考えずに初めから普通科に入学した。現在は一般受験を念頭に置いた大学進学という前提の下に統合の方向に進んでいる現れではないか。私はこうした高校という集団に属して何の疑念もなく受験勉強に邁進している。しかし、これに合わない生徒は不登校となり退学の道をたどる。退学までには至らなくても大学受験一辺倒に均一化した高校に息苦しさを感じる生徒は多い。現在入試改革が進んでいる。総合型の推薦入試を採る大学が増え、入試制度は多様化している。高校もこれに合わせて知識の詰め込みや偏差値信仰を改め、分散的な教育内容にシフトするべく今一度、教育制度を改め直す時期に来ているのではないか。
(400字)
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