(1)問題
① 「他人様に迷惑をかけてはいけない」
② 54歳のその男性は、幼いころから父親にそう教えられて育ったという。男性は同居している両親を養っていたが、父親が他界。ほどなく母親に認知症の症状が出始める。追い打ちをかけるように、勤めていた会社でリストラに遭い、一家は生活費にも事欠くように。どうにか派遣の職を得たものの、母親の症状が急激に悪化。仕事を辞めざるを得なくなり、失業給付を受けることに。生活保護の相談のため訪れた区役所の窓口では「がんばって働いてください」と言われるだけ。失業給付も残りわずかとなり、家賃も払えなくなる。
③ 男性は観念する。他人様に迷惑はかけられない,もう死ぬしかない,と……。
④ 貧困問題に取り組む活動家,湯浅誠の『反貧困』に出てくる実話です。男性は生活に困窮した結果、同居していた86歳の母親を殺め、自らも自殺を図ります。
⑤ 肉親の扶養と介護,リストラ、生活保護の不認可。
⑥ 日々ニュースなどで目にする,今日では決して珍しくないトピックかもしれません。
⑦ ですが、この事例は注目に値します。
⑧ 一見ありふれているこの悲劇の中に、実は「交換の論理」が隠されているからです。
⑨ では、交換の論理とは何か?
⑩ 助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?
⑪ 子供のころ、僕らは誰とでも友人になることができました。
⑫ たまたま教室で席が隣になったというだけで、たまたま好きなミュージシャンが一緒だったというだけで、僕らは無邪気に友人になることができました。
⑬ それなのに、大人になると、新しい友人を作ることが難しくなってしまいます。
⑭ どうして「仕事上の知り合い」とは友人関係になりにくいのでしょう?
⑮ それは、互いを手段として扱うからです。
⑯ 「ビジネスパートナー」という言葉がありますが、これはあくまで利害が一致している限りでの関係や,共通の目的を持った者同士の(一時的な)協力関係を指します。
⑰ 逆に言えば、相手が使い物にならなくなった場合や目的を果たした後は、助ける義理はない、というドライな関係に他なりません。
⑱ ビジネスの文脈では、相手に何かをしてほしかったら、対価を差し出すしかありません。相手が認める対価を持ち合わせていなかったり、「借りを返す」見込みが薄い場合などでは、協力や援助を取りつけることは難しくなります。
⑲ だから大人になると、ギブ&テイクの関係,ウインウインの関係(交換的なつながり)以外のつながりを持つことが難しくなるのです。
⑳ 「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
21 要するに「割に合うか合わないか」で物事を判断する態度です。
22 割に合うなら助けるし、仲良くする。割に合わないなら、縁を切る。
23 他人を「手段」として遇する態度です。
24 問題は、僕らは、自分のことを手段として扱おうとして近づいてくる人を信頼することができないことです。
25 親切にされればされるほど、何か裏がある,打算があるはずだと感じてしまう。
26 「割に合うかどうか」という観点のみにもとづいて物事の正否を判断する思考法を、「交換の論理」と呼びたいと思います。
27 「努力は報われる/報われない」という視点ですら,交換の論理の一部をなしています。努力という支払いに見合う報酬があるのかないのかという発想自体が、すでに交換の論理に根差しているのです。
28 交換の論理は「差し出すもの」とその「見返り」が等価であるようなやり取りを志向し、貸し借り無しのフラットな関係を求めます。ですから、交換の論理を生きる人は打算的にならざるを得ません。
29 それゆえ、交換の論理を生きる人間は、他人を「手段」として扱ってしまいます。
30 そして、彼らの言動や行為には「お前の代わりは他にいくらでもいる」というメッセージが透けて見えます。なぜなら、この〈私〉はあくまでも利益という目的に対する手段でしかないからです。
31 だから信頼できないのです。
32 つまり,贈与が無くなった世界(交換が支配的な社会)には、信頼関係が存在しない。
33 裏を返せば、信頼は贈与の中からしか生じないということです。
34 だとすると、交換的な人間関係しか構築してこなかった人は、そのあとどうなるのか?
35 周囲に贈与的な人がおらず、また自分自身が贈与主体でない場合、僕らは簡単に孤立してしまいます。
36 僕らが仕事を失うことを恐れるのは、経済的な理由だけではありません。
37 仕事を失うことがそのまま他者とのつながりの喪失を意味するがゆえに恐れるのです。仕事を失い、かつ頼れる家族や友人知人などがいない場合、僕らは簡単に孤立する。
交換のロジックの「速さ」
38 冒頭の事例に話を戻します
39 さきほど、この事件は注目に値すると述べました。
40 どの部分が注目に値するかというと、「他人様に迷惑はかけられない。もう死ぬしかない」という二つの文をつなぐロジックの速さです。
41 普通に考えれば、この思考は明らかに飛躍しています。ロジカルにはつなぐことのできない2文なはずなのですが、この男性は「迷惑をかけてはならない」という前提と自身の困窮の状態から,「死ぬしかない」という結論を直ちに導いてしまったのです。
42 これこそ「交換の論理」の究極の形に他なりません。「死ぬしかない」は、まさに交換の論理が導く帰結なのです。
43 交換の論理,つまりギブ&テイクやウインウインの論理は,「交換するものを持たないとき、あるいは,交換することができなくなったとき、そのつながりを解消する」ことを要求します。そしてそのつながりが「社会とのつながり」だった場合、社会とのつながりの切断とでは社会の「外」へ行くこと、つまり「死ぬしかない」ということになります。だから、おそらくその男性にとっては「もう死ぬしかない」という選択肢以外は用意されていなかった。それは検討する余地のない,自明な結論だったのでしょう。
44 「他人様に迷惑はかけられない」と「もう死ぬしかない」。この2文の間に、どうして何か,他の手立てが入らなかったのでしょうか?
45 実は、今僕が立てた右の問いを「たしかにそうだ」と思ったのなら、あなたもすでに交換の論理に絡めとられています。
46 問題は「他人に迷惑はかけられない」という前提の部分です。
47 そもそも,僕らがつながりを必要とするのは、まさに交換することができなくなったときなのではないでしょうか。
48 僕らが困窮し、思わず誰かに助けを求めるとき、交換するものを持ち合わせていないからこそ「助けて」と声にするのではないでしょうか。
49 仮に、もし交換するもの(金銭や労働力、あるいは能力や才能)を持っているなら、そもそも「助けて」と声をあげる必要はありません。あるいは、金銭的余裕があり健康状態や年齢が一定の基準を満たしていれば、「保険」に加入してリスクヘッジすることもできます。
50 だとするならばこうなります。
51 交換の論理を採用している社会,つまり贈与を失った社会では、誰かに向かって「助けて」と乞うことが原理的にできなくなる。
52 何も持たない状況では、誰かを頼り、誰かに助けを求めることが原理的に不可能なのです。
53 ゲームから一度降りてしまったら、二度とそのゲームには戻ることができないというルールがゲームの中に存在しているのです。交換の論理を支持するゲームは、このようなタイトな規定のあるゲームなのです。
54 「甘える」と「頼る」は違う,という主旨のツイートを見かけたことがあります。
55 いわく、甘えるというのは、本当は自分でできることを他人に頼むという意味であり、頼るというのは自分ではできないことを他人に頼むことを意味する,と。
56 素敵な定義だと思います。
57 何が言いたいかというと、「助けて」という声は甘えではないということです。
58 経済的,精神的,肉体的に追い詰められたとき、僕らは誰かを頼り、頼られるのです。
59 しかし、交換の論理はそれを拒否する–––。
60 さて、ここからは『反貧困』には書かれていませんので、あくまで推測になります。
61 その男性にもきっと知り合いや親戚の一人くらいはいたはずです。しかし彼は、その人たちに頼らなかった。
62 それは、「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」という反応が返ってくることをどこかで恐れていたからではないでしょうか。そして、もしそう反応されてしまったら、彼は「差し出せるものは何もない」と答えるしかなかった。
63 もちろん、この事例は生活保護行政や社会保障上の脆弱さです。しかしもし、この男性に家族以外の何らかの「贈与的なつながり」があったならば、違う結末になったのではないかと僕は考えてしまうのです。
「自由な社会」の正体
64 ひとりでも生きていけるというのは、とてもよいことのように思えます。
65 「誰にも依存せずに、きちんとひとりで生きていけ人」、それが大人の条件だ、と言われたら、たしかにそうだ、と納得しそうになります。
66 ですが、誰にも迷惑をかけない社会とは、定義上,自分の存在が誰からも必要とされない社会です。
67 その社会のすべてのメンバーが誰にも迷惑をかけないということは、誰からも迷惑をかけられることが一切無いという状況です。もちろん、ここでいう「迷惑」とは「助けること」「支援すること」「頼られること」です。
68 誰にも依存しないスタンドアローンな存在として生きていける主体だけから成る社会というのは、いざというときに助けてくれる他者を必要としません。その社会の中の誰一人,「いざというとき」をそもそも持ちえないのですから。
69 もし仮に、この社会のメンバー全員がそのような主体となったとき、というよりも、そのような主体でなければならないと強制されたとき、そもそもそれは「社会」と呼べるでしょうか。
近内悠太『世界は贈与でできている––資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(ニューズピックス二〇二〇年四八~五六頁)より抜粋(ただし,出題にあたって一部表記を改めた箇所がある)
設問1 筆者が述べる「交換の論理」とはどのようなものか。四〇〇文字以内で述べなさい。
設問2 本文の内容を踏まえて、「自由な社会」とはどのような社会か,八〇〇文字以内で述べなさい。あなたの身の回りの実例を挙げつつ説明すること。
(2)解答例
設問1
交換の論理は差し出すものと見返りが等価であるようなやり取りを志向し、貸し借り無しのフラットな関係を求める。この論理を生きる人は打算的になり、人はあくまでも利益という目的に対する手段でしかないと考える。利害が一致している限りでの関係や共通の目的を持った者同士の協力関係を築き、相手が使い物にならなくなった場合や目的を果たした後は助ない。相手に何かをしてほしかったら対価を差し出し、相手が対価を持ち合わせていない、借りを返す見込みが薄い場合には協力や援助をしない。人とは割に合うかどうかだけで物事の正否を判断する。交換するものを持たないとき、交換することができなくなったとき、そのつながりを解消することを要求し、そのつながりが「社会とのつながり」だった場合、社会とのつながりの切断は「死ぬしかない」という結論になる。経済的,精神的,肉体的に追い詰められたとき誰かを頼り、頼られることを拒否する。(394字)
設問2
「自由な社会」とは、誰にも依存せずに個人が自立して生きる主体だけから成る社会である。他者とはフラットな関係に立ち、ギブ&テイクの関係に基づくため、他者から授けられた恩恵に対して返すものがなければ助けを得ることができずに孤立する。
私は中学校時代、病気がちで学校を休むことが多く、クラスでもなかなか打ち解けることができずにいた。回復して久しぶりに登校したとき、クラスメートA君は私の机に歩み寄って来て声をかけてくれた。そして、私が休んでいた間の授業ノートを貸してくれた。そんな厚意に返すものがなく、私が恐縮していると、「いいんだよ。友だちだから。」と笑顔を向けたA君の言葉を今でも忘れることができない。見返りと期待せずに無償の行為を施すA君の態度には交換の論理ではなく、贈与の論理がうかがえる。
「自由な社会」は法に触れなければ何でもできる社会である。個人でも1円で株式会社を立ち上げることができ、技術や工夫次第で誰もが大きなチャンスをつかめる時代になった。しかし、ひとたび事業に失敗すると自己責任の原則の下で、すべての責任を自分ひとりが一身に追わなければならない。
地震などの自然災害や新型コロナウイルスといった新興感染症などのリスクが増大した現代社会において、不確実性に自分ひとりで対処することには限界がある。阪神淡路大震災を契機にボランティア活動が活発化したように、自発的で無償の奉仕活動は交換の論理ではなく贈与の論理に導かれたものである。不確実性の時代を生きる私たちは、人を手段として扱うのではなく、人の尊厳に配慮することを最大の目的とする態度に注目して、信頼に基づく人間関係の構築を図ることで未知の事態に対処しなければならないときが来ている。
(743字)
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