(1)問題
問題1次の文章を読んで,以下の問いに答えなさい。
(1)著者は,フーコーの監視社会の概念には,下線部「いろいろ手直しが必要」であると述べている。著者によると,近年の議論ではどのように変更されているか,説明しなさい。(300字以内)
(2)現代の情報化社会は,パノプティコンがいっそう拡張・浸透した監視社会であるのだろうか。情報化社会がもたらす安心・安全や利便性にも留意しながら,あなたの考えを述べなさい。(600字以内)
① …ここであらためて「監視社会」の問題を考えてみたいと思います。「監視社会」という言葉を,小説の世界ではなく,哲学において鮮明に打ち出したのは,フランスの哲学者ミシェル・フーコー『監獄の誕生-監視と処罰』(1974年)です。フーコーはこの書で,イギリスの功利主義哲学者ジェレミー・ベンサムが考案した監獄・パノプティコン(一望監視施設)にもとづいて,近代社会のあり方をパノプティコン社会と見なしたのです。このパノプティコンを,フーコーは次のように説明しています。
(パノプティコンは)塔のてっぺんからそれを囲んで円形に配置された囚人用監房を監視するといった建築プランで,逆光になっているので相手に見られることなく。中央から一切の状況や動きを監視できるというものです。権力は姿を消し,二度と姿を現さないが,存在はしている。たった一つの視線が無数の複眼になったも同然で,そこに権力が拡散してしまっているわけです――現代の,それも「モデル」と称されている最新の刑務所でさえ,多くはこの原理の上に成り立っています。
② フーコーによれば,刑務所だけでなく,近代社会全体がこうしたパノプティコン型をしているのです。「現代の税制,精神病院,情報ファイル,テレビ網,その他われわれを取り巻く諸々の技術も,パノプティコンを応用し具体化したものです。このフーコーの考えからすると,近代社会だけでなく,現代もまた「パノプティコン社会」と呼ぶことができそうです。
③ このパノプティコン社会を理解するとき,重要な特徴が二つあります。一つは「監視する者」と「監視される者」の非対称性です。「監視される者」は常に見られ,その行動が詳細に記録されます。それに対して,「監視する者」は,姿を消し相手からは見えません。そのため人々は監視の目を常に意識し,生活することになります。もう一つの特徴は,「監視」によって人々が規律訓練(あるいは調教)されることです。いつでも監視されているという意識があるために,人々は秩序を乱したり,自分勝手な行動をとったりしなくなります。そんなことをすれば,社会から排除されることになりますので,社会でうまくやっていくために,従順な「主体=臣民」となっていくのです。
④ フーコーの「監視社会」の概念は,発表された当時(1970年代)としては,きわめて斬新に見えました。ところが,現代の状況からすると,そのままでは古く,いろいろ手直しが必要になります。その―つが,「デジタル化」の問題です。フーコーのモデルでは,監視の技術はいわば「アナログ」的なもので,記録も文書によって蓄積されていきます。ところが,現代社会では,生活がすっかりテジタル化されてしまいました。こうした状況を踏まえて,アメリカのメディア学者マーク・ポスターは『情報様式論』(1990年)のなかで,フーコーのパノプティコンを現代風に読みかえて,「スーパー・パノプティコン」という概念を提唱しています。
⑤ 現在の「コミュニケーションの流通」やそれが作りだすデータベースは,一種の(スーパー・パノプティコン)を構築している。それは壁や窓や塔や看守のいない社会のシステムである(中略)社会保証カード・運転免許証,クレジットカード,図書館カードのようなものを個人は利用し,つねに用意し,使い続けなくてはならない。これらの取引は記録され,データベースにコード化され加えられる。(中略)諸個人は,情報の源泉であると同時に,情報の記録者でもあるのだ。ホーム・ネットワーキングはこの現象の最適化された頂点を作りだす。
⑥ たとえば,パソコンやスマートフォンは言うまでもありませんが,その他私たちの日常生活のほとんどが,デジタル情報テクノロジーにもとづいています。買い物をするときのクレジットカード,銀行を利用するときのキャッシュカード,電車に乗るときのパスモやスイカなどのマネー,音楽を聴くときのiPod,クルマに来るときのカーナビなど,あらためて指摘するまでもないでしょう。このようなデジタルテクノロジーの特質は,使っている人に「監視されている」と意識させないことにあります。
⑦ 分かりやすい例として,Amazonで本を購入する場合を考えてみましょう。こ存じのように,Amazonで本を検索したり,買ったりすれば,その次にオススメの本が紹介されることになります。つまり,購入者の興味や関心に見合った本を紹介するのですが,これが可能なのは,購入者の情報がチェックされ,記録されていくからにほかなりません。しかも,紹介された本を見て,「ああ,そんな本もあったんだ」と,つい買ってしまうこともたびたびですから,まんまとAmazonの戦略に乗せられてしまうのです。
⑧ フーコーの場合には,たとえ監視であっても,「監視する者」が向こう側に控えていました。また,「監視される者」は,個人的に特定され,その人の情報が蓄積されていくわけです。ところが,現代のデジタルな監視では,「監視される者」が誰であるかは問題になりませんし,監視はいわば自動的に行なわれていくのです。ある意味では,問題がなければ,「監視される」という意識は生じないでしょう。支払い能力のある人であれば,クレジットカードを自由に使えますが,そうでない場合には使用が禁止されるだけです。
⑨ フーコーが「パノプティコン」概念を導入するとき,彼は一つの歴史的な図式を持っていました。それを彼は,ドイツの監獄改革論者イユーリウスの見解として紹介しながら,次のように述べています。
⑩ 古代は見世物の文明であった。「多数の人間をして少数の対象を観察可能にさせる」というこの課題に応じるのが,寺院・劇場・円形競技場の建築であった(中略)ところが,近代が提起するのは,あべこべの問題,つまり「少数者に,さらには唯一の者に,大多数の者の姿を即座に見させる」のである。
⑪ この図式はとても有名であり。その見解にもとづいて多くの研究者が「近代は少数者が多数者を監視する社会である」と考えるようになりました。しかし,ノルウェーの社会学トマス・マシーセンによれば,この理解には決定的な見落とし,しかも意図的な見落としがあります。つまり,フーコーは「古代=見世物」,「近代=監視」と主張するのですが,こうした対比は歴史的にはうまく説明できないのです。
⑫ こうした歴史的な理解はきっと間違いであろう。事実により近いのは,次のことである。パノプティコン的なシステムは,過去21世紀の間にきわめて発展したが,しかし,ルーツとしては古代にある。単に個人の監視技術だけでなく,パノプティコン的な監視システムのモデルもまた,初期キリスト教時代かそれ以前に遡るのである。
⑬ つまり,フーコーが強調するように,監視の技術が近代に特有というわけではなく,むしろそれ以前の社会に遡るというわけです。さらに,もう一つの側面にも注意しなくてはなりません。近代社会では,「監視の技術」だけが発展したわけではなく,「見世物(スペクタクル)」の側面もまた飛躍的に増大したのです。ところが,フーコーはこの側面をまったく無視してしまいました。
⑭ フーコーは,加速度的に増大している近代の監視システムにかんして,われわれの理解を深める点では大いに寄与したが(中略),もう一つのきわめて重要性を持つ反対のプロセスを無視するのである。つまり,監視システムと同時的に起こり同じような加速度で発展しているプロセスである。具体的には,マスメディア,とくにテレビであり,それは(中略)多数の者に(中略)少数者を見るようにさせるのである。
⑮ このような理解にもとづいて,マシーセンはパノプティコンに対抗する概念を提唱しています。パノプティコン( panopticon )は語源的には,「すべて」を表す( pano )と,「見る」にかかわる( pticon )から構成され,多数者を見通す監視システムです。それに対して,マシーセンは「監視」だけでなく,多数者が少数者を見るという見物の側面も同時に備えた概念として,「一緒に,同時に」を表す「syn」を使って,シノプティコン( synopticon )と名付けています。つまり,私たちは「監視される者」であると同時に,「見物する者」でもあるのです。
⑯ マシーセンは「見世物」の側面を,「マスメディア,とくにテレビ」と考えていますが,現代の状況からすれば。むしろスマートフォンを想定するのが適切なように思えます。私たちは,たえずスマートフォンで情報を検索し,画面に見入っています。映像であったり,音楽であったりするかもしれません。あるいは,Facebookの情報に,「いいね」と発信するかもしれません。しかし,このようにスマートフォンの画面を見ながら,情報を検索するとき,同時に私たちの動向はつぶさに監視されているのです。画面を見ることは,同時に監視されることでもあります。この二つは,切り離すことができません。
(岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社,2016年)より抜粋)
(2)考え方
(1)
要旨を2つの項目に分ける。
<1>近年の議論の変更点
① 「デジタル化」の問題
・フーコーのモデルでは,監視の技術は「アナログ」的なもので,記録も文書によって蓄積されていく。
・現代社会では,生活のテジタル化さを踏まえ,「コミュニケーションの流通」やそれが作りだすデータベースは壁や窓や塔や看守のいない社会のシステムである。
・電子情報の取引は記録され,データベースにコード化され加えられる。
・諸個人は,情報の源泉であると同時に,情報の記録者でもある。
・このようなデジタルテクノロジーの特質は,使っている人に「監視されている」と意識させないことにある。
・現代のデジタルな監視では,「監視される者」が誰であるかは問題にならず,監視は自動的に行なわれていく。
② 見世物の文明
・近代が提起するのは,少数者に,さらには唯一の者に,大多数の者の姿を即座に見させる。
・フーコーが強調するように,監視の技術が近代に特有というわけではなく,むしろそれ以前の社会(初期キリスト教時代かそれ以前)に遡る。
・近代社会では,「監視の技術」だけが発展したわけではなく,見世物の側面もまた飛躍的に増大した。ところが,フーコーはこの側面をまったく無視していた。
・マスメディア,とくにテレビであり,それは(中略)多数の者に(中略)少数者を見るようにさせる。
・私たちは「監視される者」であると同時に,「見物する者」でもある。
(3)解答例
(1)
フーコーのモデルは監視の技術はアナログ的なものに対し、現代社会ではコミュニケーションの流通やそれが作りだすデータベースは壁や窓や塔や看守のいないデジタル社会によるシステムである。電子情報の取引は記録され,データベースにコード化される。諸個人は,情報の源泉であると同時に,情報の記録者でもあり, 監視される者に「監視されている」と意識させず,自動的に行なわれていく。また、監視の技術が近代に特有でなく,初期キリスト教時代かそれ以前の社会に遡る。近代では, 見世物の側面も増大し、少数者や唯一の者に,大多数の者の姿を見させるだけでなく、マスメディア,とくにテレビによって多数の者に少数者を見物させる(295字)
(2)
新型コロナ接触確認アプリC O C O Aを厚生労働省が導入したことも記憶に新しい。こうしたサービスは国民が感染症に罹らないように安心・安全を確保するなどというエクスキューズがつけられている。人の命や健康を守るという名目のもとに、監視社会は私たちのもとに、ひたひたとその触手を延ばしている。たとえ動機が善意に基づくものであっても、その利用者や利用法が変われば、善意はたちまち恐ろしいものに変貌する。
現代の監視は主にSNSなどを媒体とするインターネットを通じて行われる。グーグル等の検索システムは便利な反面、個人情報を無料で企業に渡しているというリスクを負う。中国では街中に2億台以上の監視カメラがあり、ネットや現実空間での行動を点数化して評価し、これが低ければ飛行機や列車のチケットを買うことができないという。このように、監視の目は権力の手先となり基本的人権を侵害することも時として起こり得る。
一度設けられた監視カメラを撤去することは難しい。スマホに慣れてしまった人々からスマホを取り上げることは不可能である。したがって、監視社会に対抗するために私たちが為しうるのは収集された情報を私たち国民の手に取り戻すことだ。そのためには、どんな個人情報が集められているかを知り、自分の情報が不当に使われないよう管理する自己情報コントロール権を早急に確立することが現代社会に求められる。(790字)
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