人生で初めての止め刺しを経験して、私はホッと一息ついた。
とはいえ、命をいただいたんだなぁ、なんて感慨に耽ってる場合じゃない。
ここから運び出して、今から解体しなければ。
まず師匠の車まで運び、積み込む必要がある。
そう。斜面とはいえ数メートル運ぶだけでひと苦労だった鹿を、50メートル程先にある駐車場、そこにある車まで運ばなければならないのだ。
雪が異常に積もってることもあり、車をこっちまで持ってくることもできない。
この場で内臓も全て出してしまえば多少は軽くなって楽になるのだろうが、先ほどの通りここを下手に汚すわけにもいかない。
まず鹿をブルーシートに包んで、ソリに乗せた。
そこから師匠と共にソリを引っ張って運ぶわけだが、まぁしんどいことしんどいこと。
一面が雪なおかげで滑って運びやすくはあるが、同時に積もっているため足が埋まってしまう。そうなったら歩くだけでも息が切れる。
これでどちらかが体力自慢とかだったら話は違うが、私はそもそも学校の体育すらキツいインドア派。師匠は歳で体が思うように動かず、特に腕はたまに痺れるらしい。
そんな二人で、何十キロとある鹿を雪の中から運べるわけもなく。
畑に用があったのか、たまたま近くを通りかかった男性にも協力してもらい、何とか師匠の車に積み込むことができた。
正直、止め刺しよりも獲物の運搬の方がトラウマになりそうだ。
そしていざ解体場所へ。
と言っても、何か解体するため専用の施設があるわけじゃない。
大木に吊るす用の滑車があって、捌いたものを入れるカゴと並べるためのテーブルがあるだけの、思いっきり野外だ。
とはいえすぐ近くに川があるので、道具が洗えたり肉を冷やせたり、利点はある。
車から鹿を下ろして滑車の下まで運ぶと、雪で軽く冷やしつつ休憩。
そして解体、の前にやることがある。
報奨金申請のために必要な写真撮影と討伐証明の回収だ。
まず鹿の頭を向かって右に向くように寝かせる。そして身体の側面に、スプレー缶で今日の日付を書く。
はっきりと見えないといけないので、慣れないと結構難しい。
さらにホワイトボードに、マジックで獲物、日付、獲った人の名前、獲った場所を書く。
これを獲った人(今回は師匠)が持って、獲物の後ろにしゃがんでもらう。そして獲物と師匠が入るように写真を撮る。
さらに討伐証明として尻尾が必要なので、尻尾の先から三分の一程度を切り落としてチャック付きのポリ袋に入れた。
誰がいつ獲ったかを示す専用のシールを袋に貼れば、これにて完了だ。
さぁ、ここからいよいよ解体だ。
まず先に説明すると、解体のやり方は人によって、状況によって様々だ。
食肉加工のために丁寧にやる人もいれば、時間が惜しいためささっと欲しい部位だけ取る人もいる。
まぁ、ウチはその中間といったところだ。
まずは鹿を宙吊りにする。
吊るす用の滑車の先には両端が尖った木の棒があり、ここに鹿の後ろ脚を通す。具体的に言うと、脚の骨とアキレス腱の間にナイフで穴を開けて、そこに棒を通すのだ。
滑車のロープを引っ張って浮かせると、木に縛り付けて固定する。
そうしたら、まずは内臓を出す。
肛門の周りをナイフでぐるりと切り込みを入れてから、お腹を裂く。内臓を傷つけないよう慎重に。
内臓が見えてきた時、身体の中に溜まっていた熱気が湯気となって立ち上った。
寒い日に自分が吐く吐息のようで、改めてこの鹿も熱が通った命であったことを強く自覚させられる。
そして内臓を出すわけだが、その前に肋骨を割らないと、食道や気管まで一気に出せない。
ナタやノコギリでもいいんだが、肋骨の関節を狙えば止め刺しナイフでも割れる。
刃を傷めるんだろうなぁ、と思いながらある程度割ったら、ナイフで手伝いながら手で引っ張り出せる。
さっきナイフで切り離した直腸を、お腹の内側から引っ張って(大抵失敗するので、後でリカバリーする)外す。
そこの接着が外れたら、後は内臓の重さで勝手に落ちてくれるのだ。横隔膜とかはナイフで切りつつ、手で内臓をまとめて引き剥がす。
程よいところで気管と食道を切れば、内臓は出せた。欲しい部位があれば、後で回収する。
後は皮を剥いで、肉を切り離す。
後ろ脚のアキレス腱の付け根辺りに軽く切り込みを入れ、さらに脚の付け根まで一本切り込みを入れ、皮を剥ぐ。
この時アキレス腱を切ってしまうと、吊るしたまま解体出来なくなるので要注意だ。
皮を引っ張って、皮と肉を繋いでいる膜を切るイメージ。
鹿は皮下脂肪が少ないため、比較的皮が剥きやすい。特に背中なんかは、ナイフが無くても引っ張れば剥けるほどだ。
そんなこんなで首の中程辺りまで皮が剥けたら、ここで頭を落とす。ナイフでも出来るが、時間がかかるので今回はノコギリでパワープレーだ。
落とした頭からタン、舌を回収する。
昔話の舌切り雀だと、口の中からハサミでちょきん、といった感じだったが、死後硬直で口が開かないので出来るわけがない。
下顎からナイフを入れて、タンの付け根から切り離す。慣れれば意外と簡単だ。
そして体に戻り、今度は背中の肉である背ロースと内ロースを外す。
ちなみに背ロースは文字通り背中の肉で、一匹から背骨を挟んで二本取れる。
内ロースも文字通り内側のロース。詳しく言うと、背ロースから背骨を挟んで内側にある、つまり内臓を出さないと取れない肉だ。
こちらも背骨を挟んで二本取れる。
ヒレ肉と言えば、馴染み深い人もいるかもしれない。希少な部位だ。
鹿肉は全体的に、牛や豚に比べて肉の大きさが小さいので尚更。
イメージしやすく説明すると、スーパーで見かける豚のヒレ肉の太さが鹿の背ロースと同じか、少し細いくらい。
市販のロース肉とヒレ肉の太さの比率を見れば、鹿のヒレ肉の太さも想像出来るだろうか。
畜産において、牛や豚が飼われてる理由の一つが分かった気がした。
「お疲れ様ー」
ここで先輩ハンターの一人がやって来た。
本当にお疲れだよ、と思いながら解体を手伝ってもらう。
四肢の肉を取るが、前脚と後ろ脚でやり方が異なる。
まず前脚、こちらは比較的楽だ。
というのも、前脚は関節で繋がってるというわけではなく、肩甲骨(羽子板とも呼ばれる)が筋肉で胴体とくっついているイメージだ。
だから前足を横に引っ張って、見えてくる脚と胴体の境目を切り離せば完了。
次に後ろ脚。こちらは股関節で繋がってるので、丁寧にやるならここを外さなければならない。
フィギュアのボールジョイントをイメージしてくれれば分かりやすいだろうか。
前脚同様、脚と胴体の境目を探して切り込みを入れる。
そこから手探りで股関節を探し、そこをナイフで切り剥がす。ナイフの先を使うといいのだが、これまた刃を傷めそうな作業だ。
切り離した脚を木の棒から引き抜いて、前脚と共に脚先を関節から外せば完了だ。
なお今回は持ち帰らなかったが、首肉やバラ肉もちゃんと食べられる。
どちらも皮剥ぎに近いイメージで、肉を引っ張りながら骨から切り離すだけだ。
人手が増えたこともあり、数分後に解体は終了。
と言っても枝肉にして終わらせた。精肉までやってたら文字通り日が暮れるので、持ち帰った各自でってことで。
というわけで肉を三人で山分けするのだが、今回は私が初めて仕留めた獲物ということで、前脚と後ろ脚一本ずつ貰えた。
あとレバー半分とハツ、タン、背ロース、内ロース一本ずつ貰った。初めてってことでサービスは嬉しいが、エラい大荷物だ。
解体も終わり、残った足先や毛皮、骨などは解体場所の近くに穴を掘って埋めた。ここなら人も滅多に来ないから大丈夫なんだと。
そして道具も片付けて、今日は解散となった。
私もバスに乗って帰宅、と言いたいところだが、街に帰るバスが一日二本しかないこの町で、そう都合良く乗れるわけもない。
仕方ないので、師匠に送ってもらうことになった。ありがとうございます。
舗装されてない道をガタガタと進みながら、師匠と今日の狩猟について話していた。
初めての止め刺し、つまりは命を奪うということもあって、師匠は私がどういう風に反応するか心配だったらしい。
実際に初めての止め刺しで震えが止まらなかった、なんて話も聞くし、大袈裟ってわけでもない。
やはり刺す感触や耳を劈く断末魔、噴き出る血、目や脚の動きから感じる死は、心を締めつけることもあるそうだ。
とはいえ私は、そんな後引く物はなかった。
『命を奪った』
それ以上でもそれ以下でもない。と言ったところだろうか。
師匠としても、驚くほど冷静に出来ていたらしい。大したものだと褒められた。
あまり自分だと実感が無いが。
「何か動物殺したことあるの?」
師匠の質問に首を横に振る。
もうちょっと言い方あっただろ。というツッコミは一旦飲み込んだ。
しかし言われてみれば、たしかに初めてなのだ。
これまでの人生、ハエとか蚊くらいなら殺したことはあるが、自分と同じ哺乳類を殺したのは初めてだ。
だからどうした言われてしまえばそれまでだ。
しかし手を見れば、さっきまで味わっていた肉の感触や血の生温かさはしっかりと覚えている。
狩猟を体験しなければ、一生知ることのなかった感触だ。
私は改めて、狩猟の世界に足を踏み入れたような気がした。