私を示すこと。でしょうか。
じゃぁ。
それが私だったのか。
他人だったのか。
難しいですね。
私は、他者の文章や言葉を取り込んで生きて来ました。
そこにある思考です。
本や教科書や、相手の言葉から。
私たちは、先人たちの叡智の結晶である。と言えるのかもしれません。
10年前より、20年前より、30年前より、生活は便利になりました。
それは私のおかげではありません。
誰かが、もっとより良くしようとしてきたおかげです。
環境が違えば。
違う人格だったかもしれません。
別の土地に住んでいたら。
そこの風習を真似たと思います。
方言。とか。
そこの環境における(左右される)生活。とか。
***
私は確かに。
どこにもいないのかもしれません。
でも。
私を私だと思ってくれている人もいます。
まぁ。その親子関係に問題が何もないと言えば嘘です。
家族の中でイザコザはあります。
ただ。近所の人が、私だと思っている私は。
ただの外面の私なんじゃないか。と思うこともあります。
外にある(人から見て)私だと思われているもの。
それは、私がこう見られれば得をするだろう。みたいな。
自分の中にある打算的な計算から生みだした私なのです。
私はみんなに好かれたかったのです。
輪に入りたかったのです。
***
私は、家族ですら、欺いているような。
そんな気持ちになります。
だから、これが「私だろう」と勝手に決めつけられると。
腹を立てるのかもしれません。
そうしたのは自分のはずなのに。
もっと。
私を見て。
と。
2024/08/21
ツインレイ...本人は与えている(つもり)で「認めてもらいたい」んでしょうね。
https://coconala.com/blogs/2997019/462301
子どもの頃。
なんか裏切りにあったんですかね。
「親が選んできたのがまるで自分じゃなかった」みたいな。
***
私は何かを欺いていたような気もします。
よく思われたかったからです。
だけどどうしてでしょうか。
もう、あんまり。
それをやりたくないのです。
世界中に愛想を振りまいて、誰しもに好かれようとするより。
たった1人に。
愛される方がいいみたいです。
***
私はまだまだ。
私を探しているようです。
「それを言ったら嫌われる」と。
封じ込めてしまった私を。