私は「審判が下される」とか「合格者が出る」とか「神と獣に分かれる」とかそう言う「区別が成される」と主張する話があまり好きではありません。
私が世の支配の仕組みを知ったのは最近です。
コロナワクチンを打たないと決め、それが伝わらず、調べ続けていてコロナそのものが茶番であると知りました。
そして2021年の9月にフラットアースにたどり着きました。一年前です。
この世の裏側を知りました。
それまでは言ってしまえば悪魔に加担していたのです。
この世の真実も知らずのうのうと生きていました。
当時私がコロナは茶番だと言えば「陰謀論者」扱いでした。
その、相手に陰謀論だと言ってしまう側にいたのです。
フラットアースを知るまでは。
私はそこにたどり着かなければ、人々の言う審判の話では落第側だったのかもしれません。
そして、真実は目をそむけたくなるほど辛い一面も持ち合わせています。
某ファーストフードの材料がなんだか知って、それを食べていた自分を受け入れられるだろうか?
世界中のすべての人が。
市販品にほぼすべて入っているだろうと思われる美味しい調味料を生み出すために行われていた悪魔の所業を知って、彼らは何を言い出すのだろうか?
「知らなかった」では済まされない世界がそこにある。
事実を受け入れられない人は、それを知る準備の途中なのだろう。
彼らがそれを受け入れられるようになるまで、自己の学びは続くのだろう。
私が、そこにたどり着いたように。
もちろん、そのままでいい訳ではありません。
世の立て直しはいるのです。
かと言ってじゃぁそこで「これが合格」と言う何かを私は示すことはできません。
私は悪魔に加担していた歴史があるのです。
でも、「審判が下される」、「合格者が出る」、「神と獣に分かれる」と高らかに述べる人たちは、その線引きの定義を知っているのでしょうか?
自らはそれを知っていると言う一点で主張しているのでしょうか?
早いか遅いかの違いだけじゃないか。と私は思うのです。
個々の学びは違うのです。
審判は下されるのでしょう。
でも、それは神様の仕事です。
私たちはその責任を背負わなくていいように神様は世を作っているんじゃなかろうか。と私は思うのです。
だって、私は神様ではないのです。
この話はなんとなくブログの題材に上がるのですが、書き出すたびになんだか拙いのです。
ただ、高らかに「善と悪」は区別される。と言う記事を見かけると私は不安になるのです。
私は今、ここにいるだけです。
今、ここまで来ただけです。
悪魔に加担していたと言う歴史も私にはあるのです。
そして、真実を訴えていた人を退けてしまった。と言う歴史すらあるのです。
その時、悪魔の儀式のいけにえに何が使われていたか知ったら、私の心は耐えられなかったかもしれません。
今の私なら受け入れられる。と言うか、それが事実なのです。
紛れもない真実がそこにある。
そして、悪魔の所業も、それを知らずに、疑問を投げかける言葉を退け、知ろうとするチャンスも無視して生きてきた。と言う自分の歴史もそこにある。
それを考えると辛い。
だから今、目の前に現れたのかな。と思っています。
その日はくるようです。
どうしてか、人々は日程を知りたがるようです。
別に必要ないだろう。と言う感じです。
だって、私はそれをすでに知っているのです。それを知ったうえで行動の選択が選べるのです。拒否だってできます。
もう洗脳はされません。
あ、でも払いすぎていると言う税金は早く帰ってきて欲しいですね。
口座の残高が……。
収入と支出とクレジットカードの今後の支払予定にちょっと……思うところが(笑)
そして、既知の話を聞いたところで驚きようがありません。
と、言えるのも私はそれを知って1年足らずだからです。
なん十年も、何百年も耐えてきた人たちの思いは、私には図りようがありません。
だから、これを読んでショックを受けたらごめんなさい。
この世が住みやすくなるなら、それもいいな。と思います。もちろん、そっちのほうがいいです。
そして、私を「陰謀論者」とののしった相手の鼻を明かしてやりたい。と言う気持ちもあります。
でも、彼らは知らないのです。
それを知ったショックはどれほどだろうか。と思うのです。
私のように自ら追い求めて情報を得た訳ではない彼らが、ある日すべてを知り、それが本当だと受け入れられるのか。
それとも、「それは嘘だ」と言い放つのか。
うっかり自殺するより、そっちのほうが健全かもしれませんね。
彼らの常套手段で「知らなかったから罪はない」と言い逃れるのだろうか。
私はもう知っています。
もちろん、まだまだ叩けば出てくるほこりのように、深いところの話はもっともっとあるのでしょう。
私に必要ならもたらされます。
それに情報を上げているブログを見ることもできます。
ありがたいことに、訴え続けてきてくれた人たちがいるから、私はそこにたどり着いてそれを知れました。
某有名な検索エンジンは情報の隠ぺいがひどいので、かわいいアヒルマークの検索エンジンがあるとも知れました。
彼らの苦労はいかほどだろうかと思いながら、私は「陰謀論者」だと罵られながらも、そこに志を同じくする人たちがいるんだ。
世界にも。
と思うとうれしいのです。
私はワクチンを打ったら死ぬ気がしました。話はそこからはじまりました。
だからコロナがなければ、そんな話知らないままだったかもしれません。
その物は終わって欲しいですが、ないほうがよかったとは言えないのです。
例えはじまりが悪魔の所業でも。
この話はいつも、なんだかうまく言えません。
色んなものを見聞きするうちに少しずつ私の疑問にたどり着いて行くようです。
たぶん、私は悪魔の所業を知ったショックが大きいのです。
それを知らずに加担していたと言う事実も辛いのです。
かと言ってできることはなかったでしょう。
その時知らなくてよかったとすら思えても来ます。
その日が早く来ればいいな。とも思います。
そっちのほうが私にはいいのです。
だからこそ、「前のほうがよかった」と言われないために、私は先にそれを知ることができたのかな。とも思います。
私は世が変わったら、すぐに対応できます。
そのほうがいいじゃんって、顔して、平気で街を歩いてしまうかもしれません。
……。
結局私は、私のことを小バカにしているその他大勢の鼻を明かしたいのかもしれませんね。