先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
つまりこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、神との対話の世界観を堪能して下さい。
(毎回、神との対話では新しい気づきを得られます。それだけ深い真実が書かれた本だと思っています)
P19
『わたしはすべての者に、つねに語りかけている。問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか。』
語りかける⇒聞こえる と思う方が多いと思いますが、真実は「聞こえる」だけではないのです。
友人の言葉
聴こえてくる音楽
街の看板の文字
車のナンバー
雲の形
神はいつでも語りかけているのです。
ただ、それを「意識しているか?いないか?」だけなのです。
特定の人だけが「聞こえる」というのが固定観念ですが、『神との対話』を読み進めるにあたりこのような過去の固定観念にとらわれていると、神との対話を読み進めるのが苦しくなります。
なぜなら、今までは全く違うこと、反対のことが、本当の真実として語られるからです。
過去の固定観念にとらわれることなく、目の前の事実=真実を見ることが、神との対話を理解する一歩なのです。
あなたは色眼鏡という固定概念を捨てて、真実を受け入れることは出来るでしょうか?
いつも「語りかけられている」という真実を受け入れることが出来るでしょうか?
この真実を受け入れる準備が整った時、あなたは神との対話と対話できるようになります。
その時、いくつもの真実を思い出すことになるでしょう。
『第一に、「語る」ではなく、「コミュニケートする」と言うことにしよう。神とのコミュニケーションは、言葉よりもすぐれた、言葉よりずっと豊かで正確なものだからだ。言葉で語りあおうとすると、とたんに言葉のもつ制約にしばられることになる。だからこそ、わたしは言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない。』
「コミィニケートする」を日本語で表すと「伝える」という方が近いかも知れません。
なぜなら、これは言葉だけではない方法がメインのコミュニケートする方法となるからです。
ちょっと信じにくいですが、言葉が最も効率の悪いコミュニケーション方法として、後述されています。
言葉が最も効率の悪いコミュニケーション方法ということを、すぐには理解できないと思います。
「言葉以外に何があるのか?」
それは後述されています。
これまた過去の固定観念を捨てなければなりません。
「論理的」「理性的」なことを求められているいまの地球では、言葉の使い方の重要性が非常に求められますが、真実は違うのですね。