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前回、前々回の実践の反対場面の例を紹介していきましょう
普通の授業でも同じ現象があります
例① いちいち、ああしろ、こうしろという
教員の思い通りに子供がしないと不快なのでしょうか
指示を次々と出して、自分のレールに乗せようとする
あれして、これして・・・・
ここが足りない・・・・・
例② 自分の思い通りの考えしか認めない
そうじゃなくて、先生そんなことをしろと言ってないよね
例③ 説明が長い、話が長い
何をするのかもはやわからなくなってしまう
視覚的掲示もないので、聞き逃したら、もはや、分からない
始めから、混乱する=意欲減退
子どもにとっては「見張られている」感覚です
「先生のロボットじゃないよ!!」と言いたくなります
はたから見ていても、息苦しい感じがします
もっと言えば、その先生の力量(知性や感性を含めた人格、教員としての資質等々)に魅力があれば、子ども達は自然とついていきます
しかし、視野が狭い先生
レールから外れたり違った見方を良しとはしない人格ならば、
子どもは、その先生より、成長することができません
その先生の範疇でしか、動けない子供になります
新しい発想は、否定され
先生と違う方法や思考は否定されるのですから・・・・
その先生の力量は、どれほどのものか・・・・・・
教員は、公教育において中の中か中の上レベルの人がなることが多い統計があります
それが悪いとは言いません
問題は、「自分の範疇を超える思考を否定してはならない」ことです
貴方より賢い人はたくさんいることを自覚しましょう
高校の時、貴方より賢い同級生はたくさんいて、教員関係の大学ではない大学に入った同級生のいたでしょう
貴方が考えられないような発想をして、議論を展開していく同級生もいたでしょう
貴方の教室にも、そういう子供がたくさんいるのです
貴方の考えも及ばない思考ができる子ども、感性を持つ子供は実はたくさんいるのです
事実を認めましょう
この子が10年経ったら、どんな素晴らしいことを成し遂げようとしているんだろう・・・・
それぐらいおおらかに 子供たちを「観て」行きましょう💘
そう考えると、子ども達の発想や感想への評価が変わってきます
そんな考えもあるねえ
いい質問だねえ
そのように、寛容に受け止めることができてきます💘
この視点が「主体的に」「対話的な」学びの指導・支援に繋がっていきます