占いをしているという話をすると、よく聞かれる質問があります。
「占いの考えからすると、人の人生って、もう決まっているんですか?」
その問いに、私はいつも少し間を置きます。「決まっています」とも「決まっていません」とも、どちらも正確ではないからです。
例えば、紫微斗数は、生まれた日時から導かれる命盤をもとに、その人の気質や人生の流れを読み解く占術です。命盤には、その人が持って生まれた「傾向」が刻まれています。対人関係の築き方、仕事での輝き方、感情の動き方、そして人生の波のリズム。見れば見るほど、「よくここまで出るものだ」と思います。
命盤が示すのは「地形」である
でも、命盤が示すのはあくまでも「地形」だと、私は思っています。
山があれば、登ることもできるし、迂回することもできます。川があれば、橋を渡るか、渡し舟を探すか、泳いで渡るか、それとも川沿いに住むことを選ぶか。地形そのものは変えられなくても、どう歩くかは、その人次第です。
運命論と自由意志論は、哲学の世界でも長く議論されてきたテーマです。すべては因果の連鎖で決まっているという決定論と、人間は自らの意志で選択できるという自由意志論。どちらも完全には論破できません。たぶん、どちらも「本当のことを言っている」からなんだと思います。
紫微斗数を学べば学ぶほど、この両方が同時に成り立っているように見えてきます。(このことはまたどこかでブログにしたいです・・・!)
祖父が遺した言葉
私の祖父は、京都で四柱推命を生業としていた人でした。祖父が書き残した本の中に、こんな一節があります。
「自分の運命の軌道を探り求め、
災難あらば、できるだけの努力をしてこれを避け、
良きことがあれば、より良きものに、実を結ぶ、
というのが幸福の道である」
この一文を読むたびに、占い師ってこういう仕事だよなと、しみじみ思います。運命を知ることは、諦めるためじゃなくて、避けられる災難を避けて、良きものをより良く育てるための知恵だったんだなと。
例えば、命盤に「転換期」が示されている人がいるとします。その時期に職を失うか、自ら辞表を出すか、副業を始めるか、大病を患うか。
出来事の「形」は人によって違います。でも、何らかの変化が起きやすいという「流れ」は、確かに命盤に現れます。
流れは運命かもしれません。でも、その流れにどう乗るかは、意志です。
同じ命盤でも、人生はまったく違う
鑑定を行うと、同じような命盤を持つ人が、まったく異なる人生を歩んでいることに気づきます。傾向は似ていても、その人がどんな問いを持ち、何を大切にし、どんな選択を積み重ねてきたかで、人生の色はまるで違います。
命盤は「素材」だと思います。
同じ小麦粉でも、パンになるかパスタになるかケーキになるかは、作る人の手によって決まります。素材の特性を知ることで、より美味しいものが作れます。無理に素材の性質に逆らうより、活かす方向で料理した方がうまくいく、そういうことだったりするのでは?と考えています。
知ることは、縛られることではない
「運命を知ることで、がんじがらめになるのでは」と恐れる方もいます。でも私の経験では、逆のことが多いです。自分の傾向を知ることで、「これは自分の癖だ」「この時期は無理しないでいい」と、少し楽になれる方の方が多いのです。
知ることは、縛られることではなく、選ぶ材料を増やすことです。
占いが示すのは答えではなく、羅針盤です。
羅針盤を持てば、今どちらに向かっているかがわかります。
どの道を歩くかは、あなたが選ぶ、あなたにしか選べないのです。
余白の中に、人生の醍醐味がある
「決まっているんですか?」という問いに、私はこう答えるようになりました。
「傾向はあります。でも、あなたがそれをどう生きるかは、あなたにしか決められません」
その「余白」の部分こそが、人生の醍醐味だと、私は思っています。祖父の言葉を借りるなら、「災難は避け、良きことはより良く育てる」それこそが、占いという知恵の使い道なのだと思います。
もし、自分自身の「地形」を一度きちんと知ってみたいと思ったら。人生の羅針盤占いでは、紫微斗数と四柱推命の両面から、あなたという土地の輪郭を丁寧に読み解いています。今立っている場所と、これから歩いていける道筋を、一緒に確かめてみませんか。