今日は、「人間は、きちんと鼻をへし折られたほうがいい」という話をしたいと思います。
以前、私の友人が起業塾に入っているという話を書いたことがあります。
↓下記
その友人は、私にとって数少ない地元からの友人です。
小さい頃から知っているので、彼女がどんな人なのかも、ある程度わかっています。
彼女は昔から、どちらかというと受け身なタイプでした。
腰が重いところがあって、お尻を叩かれたりするような状況でなければ、自分から積極的に動くタイプではありませんでした。
そして会社員として満足できる会社で楽しく勤めているようだったので、
きっと彼女は、このまま会社員としてずっと働いていくんだろうなと思っていました。
だから、副業や起業をするようなタイプにも、正直あまり見えませんでした。
もちろん、「いつか副業や起業にチャレンジしてみたい」とは言っていました。
けれども、それがいつなのか。
そのいつがいつくるのか。
はたまたずっと来ないのか。
わかんないなーーー、と思ってました。w
けれども、そんな彼女が、しかも結構厳しめの起業塾に入った。
それは、私にとって驚きでしかありませんでした。
なぜ、あんなに腰の重かった彼女が、起業塾に入ろうと思ったのか。
そうして聞いてみると、彼女なりのきっかけがあったそうです。
どうやらその時期に、仕事で鼻をへし折られるようなことがあったそうで。
「この野郎」
「やってやる」
「私だってやれるんだ」
そう思って、勢いで入会したそうです。w
私はこの話を聞いたとき、「ああ、そういうことってあるよね」と思いました。
人間って、順調なときには、なかなか本気が出ない。
ところが、自分のプライドを傷つけられたり、悔しい思いをしたりすると、「やってやる。やるしかない」と、そこで初めて、本気になる。
だからこそ「鼻をへし折られる」という経験は、誰しも必要なことだと思うのです。
「IT企業に勤めてたんだから、プログラミングできるはず」
私自身、昔から鼻をへし折られるようなことが、しょっちゅうありました。
だからこそ、自分が今どの地点に立っているのか。
自分には何ができて、何ができないのか。
このまま先の未来はどうなっていきそうなのか。
そういうことを、現実的に考えることができたのだと思います。
そして、いろいろな人を見てきて感じるのは、自分の実力を客観的に把握できていない人ほど、他人のことを評価したがったり、「これくらいできて当然」と決めつけたりすることがある、ということです。
たとえば、邦銀で働いていたときのことです。
女性60人くらいいる中から5人を選んで、通常の業務とは別に、Excel VBAで業務開発ソフトを作るというプロジェクトが立ち上がりました。
そして、なぜか私はその5人のメンバーに選ばれました。
当時の部長に、
「どうして私が選ばれたんですか?」
と聞いてみると、
「Excel得意そうだから」
と、一言。
なるほど。w
でも、選ばれてしまった以上、やるしかありません。
当時は今のようにAIに聞けばコードを書いてくれる時代ではありません。
Excel VBAのプログラミング言語を自分で覚えて、自分でコードを書いて、動かして、エラーが出たら調べて、また直す。
そんな時代です。
私は人数の少ない海外部門で働いていたので、業務時間内の勉強会に出ることができず、土日に池袋のVBAのスクール(40万ぐらい)に通って勉強しました。(VBA standardという資格。どっかいっちゃったけど。w)
ところがそんな時、同じフロアで働いていた先輩行員たちから、こんな陰口を言われました。
「あの人、IT企業の経理にいたらしいよ。だから、プログラミングくらいできて当然でしょう」
え……???
私、経理やってただけなんですけど。
40万だして、毎週末、池袋通ってるんですけど…。
あーーーー。人間ってこんな感じなんだなーーー。w
と、改めて社会勉強させてもらった気分になったのを、今でも覚えています。
自分ができないことだからこそ、人には簡単に「できるでしょう」と言えてしまう。
人間って、そういうところがあるんですよね。
だからこそ私は、いろいろなことに挑戦することは大切だと思っています。
挑戦しなければ、鼻をへし折られてみなければ、自分の実力なんて到底わからないからです。
挑戦した経験の少ない人や全くやったことのない人は頭の中だけで、
「私にはできるはず。私はほかの人より優れているはず」と思っています。
それは私自身、そうでした。
そして、いまでもそういう部分はあるでしょう。
ほとんどの人間は、往々にして「自己評価が高い」そうです。
そういう研究結果もあります。
だからこそ、謙虚にならないといけない。
それは、他者から良く見られるためにではなく、自分自身のために必要なことなのです。
頭の中ではいくらでも御託を並べられる。
「自分には才能がある」
「要領がいいから大丈夫」
「やればできるはず」
そう思うこと自体は、悪いことではありません。
でも、実際にやってみると、
「あれ? 全然できない」
となることがしばしばあります。
それが、鼻をへし折られるということなんだと思います。
そして、私はそのこと自体が大切なんじゃないかと思うのです。
鼻をへし折られると、自分の立ち位置がわかります。
自分がどこまでできるのか。
何が足りないのか。
何を勉強しなければならないのか。
そして何より、
「自分は思っていたほど万能ではなかった」
ということに気づけます。
これは、決して悪いことではありません。
むしろ、自分を現実に戻してくれる、とても大切な経験です。
鼻をへし折られた後に、どこへ向かうのか
できないことがわかった。
自分の限界がわかった。
自分よりすごい人がたくさんいることもわかった。
だからこそ、
「じゃあ、私はどこで何を頑張ろう?」
と考えられるようになれる。
行動できるようになる。
私は、これがとても大切なことだと思っています。
鼻をへし折られることそのものに意味があるというより、
鼻をへし折られた後に、自分がどうするか。
そこに意味があるのです。
悔しくて終わるのか。
誰かのせいにして終わるのか。
それとも、
「今の私には、ここが足りないんだな」
と受け止めて、別の方向に進むのか。
私は後者でありたいと思っています。
そして、冒頭でお話しした友人も、もしかすると会社でプライドを傷つけられた経験がなければ、起業塾には入っていなかったかもしれません。
でも、その悔しさが彼女を動かした。
今まで腰が重かった彼女が、自分から厳しい環境に飛び込んだ。
そう考えると、人生で起こる「嫌な出来事」も、必ずしも悪いことばかりではないのだと思います。
人間、順風満帆なときよりも、鼻をへし折られたときのほうが、本当の意味で自分と向き合えることがあります。
だから
「人間は、きちんと鼻をへし折られたほうがいい」
そしてそこから、人生の行き先を考え始めるのです。