結論から言います。
仕組み化は、うまくいけばいくほど評価されなくなります。これは皮肉でも偶然でもなく、仕組み化という行為そのものに最初から組み込まれた構造だと思っています。
27年間、現場で「属人化をなくす」ことばかり考えてきました。誰か一人が休むと回らない。誰かが辞めると引き継ぎで現場が止まる。そういう状況を何度も見てきて、ずっと「誰がやっても同じ結果が出る仕組み」を作ることにこだわってきました。マニュアルを作り、手順を決め、動線を整える。地味な作業です。評価されるようなことでもないと分かっていながら、それでもやってきました。
ある現場で、その仕組みがようやく形になった時期がありました。自分が休んでも、新しく入った人がシフトに入っても、現場は何事もなく回る。目に見えて混乱がなくなりました。
「お疲れ様です。先週、完璧に回っていましたよ」
そう言われた時は、正直ほっとしました。ここまでやってきたことが、やっと報われた気がしたんです。
ただ、その直後に続いた一言で、私は言葉に詰まりました。
「このマニュアル通りにやればいいだけなんで、作業自体は誰でもできますよね」
悪気はなかったと思います。むしろ褒め言葉のつもりだったのかもしれません。でも私はその場で何も言い返せず、黙ってしまいました。
■ うまくいくほど、見えなくなる
ここ数年、同じようなことを何度か経験しています。属人化を解消して「誰でも回る」状態を作ると、必ずと言っていいほど、その仕組みを作った側の努力は見えなくなっていく。
考えてみれば当たり前なんです。混乱していた現場なら、何が起きているか誰の目にも分かります。トラブルが絶えず、誰かが残業して穴を埋めて、周りも「大変そうだな」と気づく。
でも仕組みが完成して、何も問題が起きなくなると、今度は「最初からこうだった」ように見えてしまう。そこに至るまでの試行錯誤、現場で何度も頭を下げた経験、何十回も書き直したマニュアル、そういうものは誰の記憶にも残りません。残るのは「今、うまく回っている」という結果だけです。
うまく回っているということは、裏を返せば「誰にでもできる仕事に見える」ということでもある。仕組み化を突き詰めれば突き詰めるほど、自分の存在そのものが薄くなっていく。
正直に言うと、これはnoteを書くようになってからも、同じ感覚を何度も味わっています。40本以上記事を書いて、読んでくれる人は少しずつ増えているのに、肝心なところ(Coconalaのサービスに来てもらう、申し込んでもらう)にはなかなか結びつかない。プロセスに費やした時間と、見えている結果の間には、いつも大きな溝があります。
■ 評価を待つのをやめる、という選択
この「見えない努力」をどう扱えばいいのか、正直まだ答えが出ているわけではありません。
ただ一つ分かってきたのは、誰かが気づいてくれるのを待っている限り、このモヤモヤは消えないということです。仕組みがうまく回れば回るほど評価されにくくなるという構造は、たぶん変わりません。期待して待つだけ、こちらが消耗します。
だから今は、自分がやってきたことを、自分の言葉で棚卸しすることにしています。「あの現場で何を変えたのか」「なぜそのやり方にしたのか」を、誰かに説明できる形にしておく。評価されるかどうかは一旦脇に置いて、まず自分が自分のやってきたことを正しく理解しておく、というだけの話です。
地味ですが、これをやっておくと、次の場面で効いてきます。たとえば転職活動で職務経歴書を書くときです。「誰でもできる仕事をしてきた」と誤解されたまま終わるか、「属人化していた現場を、こういう手順で仕組みに変えた」と言語化できるかで、相手に伝わるものはまったく違います。
見えない努力は、見えないままでは終わらせたくない。それだけは、はっきり言えます。
もし今、「自分の現場でやってきたことを、どう言葉にすればいいか分からない」「数字に出ない苦労を、転職活動でどう伝えればいいか迷っている」と感じているなら、一人で抱え込まなくていいと思います。
現場で長くやってきた人間にしか分からない、あの「誰でもできますよね」と言われた瞬間の重さ。その正体を、同じ50代・現場目線で一緒に整理します。