結論から言います。 認めたくありませんでした。 でも、認めるしかありませんでした。
■ハンドリフトを押しながら、気づいたこと
重量物が入ったパレットを、ハンドリフトで何度も移動させる作業がありました。 4人で分担して、同じ量をこなしていきます。
最初の数回は、他のメンバーと変わらないペースで動けていたと思います。 でも、回数を重ねるごとに、差がはっきりしてきました。
同じ重さを運んでいるのに、疲れ方がまったく違いました。 若いメンバーは、何度運んでも、ペースが落ちません。 自分は、後半になるほど、ハンドリフトを押す腕に、明らかに力が入らなくなっていくのが分かりました。
きつさそのものは、お互い感じていたはずです。 でも、その疲労が、どれだけ長く体に残るか。 そこに、はっきりとした差がありました。 自分だけが、息が上がったまま、なかなか元に戻らない。
「大丈夫ですか?」
一人が、そう声をかけてくれました。 心配してくれているのは分かりました。 でも、その直後、別の一人が、笑いながらこう続けました。
「力なくなりましたね〜」
悪気はなかったと思います。 むしろ、軽い冗談のつもりだったのかもしれません。 それでも、その一言は、思っていた以上に、深く刺さりました。
■ 認めるまでの、長い数秒
ハンドリフトの取っ手を握りながら、立ち尽くした数秒がありました。
「まだやれるはずだ」「いや、もう、昔のようにはいかないのかもしれない」
頭の中で、二つの声が、交互に聞こえていました。 「大丈夫ですか」という気遣いと、「力なくなりましたね〜」という軽口。 その両方が、同時に自分に向かってきて、どう返していいか分からないまま、ただ、作業を続けました。
チームの中で、自分が一番、体力が続かない。 これまで、現場では経験と 判断力でカバーしてきました。 でも、同じ作業を同じだけこなした時の、 純粋な疲労度と体力の持続性だけは、経験や判断力では埋められないものでした。
悔しいという言葉だけでは、言い表せない感覚でした。 情けなさに近いものもあれば、「これが今の自分なんだ」という、静かな納得のようなものもありました。
■ リーダーの役割は、変わっていくのかもしれない
その日から、考えるようになりました。
体力で引っ張るリーダーでいられる時期は、もう終わったのかもしれません。 それでも、リーダーとして必要とされる場面が、なくなったわけではないはずです。 体力では一番持たなくても、段取りを組む、無理のない作業順を考える、誰にどの作業を多めに割り振るか判断する。 そういう部分でなら、まだ渡せるものがあると思っています。
■ まだ、答えは出ていません
正直に言うと、あの日感じた疲労度の差も、「力ないですね〜」という一言も、今も忘れられません。
「情けない」と思う自分と、「仕方ない、これが自然なことだ」と思う自分。 今も、どちらも、本当の自分です。
それでも、非力さを認めたあの瞬間があったからこそ、自分の役割を、もう一度考え直すきっかけになったとも思っています。
もしよければ、あなたの考えも聞かせてください。 自分の体力の衰えを、はっきり認めざるを得なかった瞬間、ありますか。 コメントで教えてもらえたら、一緒に考えていきたいです。