気づき、とは。

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最近、snsなどの投稿を読むと感じる事です。
「~と気づきました。」

気づき、という言葉が結構飛び交っています。

物凄く違和感を感じるのですが、
それは、その気づきは「attention」だから、です。
注意が向きました。という意味です。

あ、こんなところにこんなものがあった。
あ、こんなことを思っていた。
あ、こうやったらこうできた。
あ、こんなことが起きたのは、こういう意味だ。

という程度のものが殆どです。

それは、気づきではありません。
「おもったこと」
「感じたこと」
「わかったこと」
という質のものです。

本当の気づきというものは、そうではありません。
気づきとは、1理解したら100分かるもの。
1つ気づけば、この世の中の全ての現象に投影できる。
1つ気づいたら、その話をずっとしていられます。
気づきは、縦の深さの理解に留まらず、
横の連結もわかるものです。
つまり、自分の気づいた分野から、
色んな分野のこともわかるようになるものです。

そして、自分自身の意識を大きく成長、向上させるものです。

そういう質のものを気づきといいます。

attentionでは、小手先の理解と小手先の対応になる故に、
自身の成長や向上は、大して見込めません。

では、どうしたら気づきになるのか?

それは、謙虚さが鍵になります。
ただ、残念ながら自分自身が謙虚なのかというと、
まだまだ甘くて、
氣功の道で段々理解していきました。

これは、こうだね!!!
と思って、やってきたことが
10年したら全然わかっていなかったことに気がつく。

その瞬間、これまでの理解は崩壊し、
同時に様々な基本の理解が一気になされるわけです。
急にパズルが解けるようになる。

それを繰り返してきたら、
自分の現状の範疇で物事を理解したらダメだ、
とわかってきました。

気づく、というのは、理解できる材料ができるまで、
自分の中にそのテーマを放置(保持)しておくことなのです。

わかろうとしてわかることではなく、
わかろうとしないことでもない。
わかろうとはする。

矛盾しますが、
物事は突き詰めるとこうなります。

放置する、というのは、
今はここまでわかる感じだけど、
でも、わかっていないのだろうな、
と留めて結論にしない、ということです。

刺さったトゲを放置すると、
やがて気づきに変わる、という感じです。

気づく瞬間というのは急にやってきて、
その瞬間に、自分の世界がいっぺんに鮮やかに変貌する。

そういうものなのです。















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