未経験の僕が仕事を辞めて学習塾を開校する話その1

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コラム
需要があるかどうかもわかりませんけれど,もしかしたら参考になるかもしれないので,僕のことを絡めながら学習塾を開校する話を書いてみようと思います。

子どもたちには毎日勉強頑張れよーと言っているのに,僕がなんにもがんばっていなかったら説得力はないので,地道な努力を当たり前に続けることが結局のところ最強ということを身をもって示そう。




さて,僕が学習塾を開校しようと思ったあたりから書き始めましょう。
もしかしたらmetaレベルから学習塾開校について知りたいと思っているひとがいるかもしれませんしね。

学習塾を開校してやろうという野望は,実のところ前職を始めるときから胸の内にありました。

僕は教えることがたぶん好きなんだと思います。

でも大学受験に派手に失敗したことをきっかけに,教員免許にまったく興味が持てなくなってしまって,結果,「教える」を実現するのに大きな武器になりそうなアイテム入手イベントをとばしてきてしまいました。


そういう意味で
学習塾というのは,まぁ良い落とし所というか,教員免許はなくても開校できるので(あったほうがなんか説明はつきやすいのですが),よかったなーと思っています。



中学校までの学習内容に照らせば,難関校攻略のような専門的な分野に特化した学習塾でなく,学習補完をメインに考えれば,学習内容的に難しいことはありません。

しっかり今の教科書にそって復習すれば大丈夫でした。



まぁ学習面は講師を雇うことで,自分が教えることはなくなってしまうので,経営的なことに興味があるだけなら,どっちかというと学習指導要領とか,学教法あたりは,気にしたほうが良いと思います。

教育業界の動向,文科省の目線はおさえておく方が吉です。




それで,胸の内にあった学習塾の開校をあるとき実行しようと走り出したわけなのですが,そのキッカケは3つあります。

一つ目は,父親が死んだことです。

父は70歳でこの世を去りました。

そのとき,なんとなく僕の目標も70歳になりました。70歳までがんばって生きて,そして死ぬとすれば,残りの人生はもう25年を切っていましたから,これはもうほとんどクライマックスを迎えているに等しいと思ったのです。





あわせて,二つ目に当時勤めていた職場の何人かの先輩たちが,60歳で定年を迎えた直後,あるいは迎える直前にお亡くなりになったのですが,お世話になったみなさんが「これから第2の人生を楽しもう!」と思っていた矢先に立て続きに亡くなり,それを目の当たりにした僕は改めて人生について考えさせられました。

否応なく考えさせられたというか。
考えずにはいられないのです。

仕事仕事仕事仕事。
今の僕に仕事以外なんにもない。

不届きなことに,
そのうえ,ようやく仕事が終わったら,すぐ死んじゃうなんて。
じゃぁ僕はいったいいつ生きてたんだろうか。と

そんなふうに思ってしまったのです。



そのとき,僕の人生はこれでいいのか。
自分は死ぬとき,果たして「楽しかったな」と思えるのか?と自分自身に問うたとき,答えは「否」でした。


漫画みたいと思うかもしれませんが,これが単なるキレイゴトでなく,実感として腹落ちしたとき,本当に恐ろしくなったのです。組織に身を置くと,個は失われます。僕が僕で居られる時間はいったいあとどれだけだろうかと考えると怖くなったのです。


だったら残りの人生20年強は,本気で走ろうじゃないの,と思ったわけです(70過ぎまで生きてたらまぁボーナスステージぐらいのつもりでいます。)




最後三つ目は,コロナ禍です。
コロナ禍,学校が休校になった瞬間,それまで人ごとだったCOVID-19の騒ぎが一転して自分事になります。

うちの夫婦は共働きなので,昼間子どもが家に一人でいることになってしまって,それでは困るのです。

それが,本当に「急に明日から」レベルで降りかかりました。
そのとき,「社会はあたかもキャリアに寛容で,多様を受け入れてくれる体裁のようだけれど,本質的にそうでない」ことに改めて気が付かされました。

これはあらゆることに通じますが,ひとは自分の身に降りかからない限り,本当の意味でその痛みを知ることはできないのだ,ということをまざまざと見せつけられたわけです。いえ,自分はまだそのへんのひとよりはずっと多様性に対して寛容で,割と理解者なのだという自負をもへし折られたと言った方が良いでしょう。

要するに,自分は何もしていないくせに,社会の不寛容に腹を立てていたわけです。


それで,学習塾がもしも四六時中あいてて,好きなときに来て,好きなときに帰ればいいよというスタンスなら,子どもたちの居場所をつくることができるのでは?と考えたのです。

社会に貢献する人生を想像すると
それはほんとうに気持ちがいいのです。

お金をもらっているのだから,社会貢献とは違うと感じますか?

そんなことはありません。


僕は仕事には,相応の対価をしっかりともらうべきだと考えています。

必要以下のお金だけでは,持続しないからです。


安い方が良いに決まっていると思うかもしれませんが,長い目で見れば,280円の牛丼は誰も幸せにしないのです。

社会貢献も無料でやってはいけません。

しっかりとそれに見合うお金をもらってやる。
そしてそのお金をまた社会に還元する。

それが責任であり,社会の循環です。
それで僕は仕事を辞めて,学習塾を開校しよう!という夢を再燃させ,実行にうつしたというわけです。



でもやっぱり未経験者というのは,確かな足場がないという点で不安だらけでした。今思えばよくもまぁ踏み切ったなというのが正直な感想ですね。


《その2へ続く》
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