親は誰だって不安である
各国で言えることかもしれませんが、比較競争の教育に育てられた大人としては、自分の子供が大きくなるにつれて「自分の子どもがその環境で勝てるだろうか?」という不安が募っていくはずです。
これは、構造上やむを得ないのかもしれません。
そして、学校での成績の良し悪しやテスト結果によって、その不安は増えたり減ったりします。
その不安を、ある意味で「即座に解消できる」手段としての代表例が
塾や家庭教師だと考えています。
そこで働いている教師たちにとっては、子供がテストの点数を伸ばして喜ぶ姿を見たり、感謝されたりするのはとても気持ちが良く、やりがいがあります。
私もその一員です。
しかし、ふと思ったのです。
そのような教育系施設は、
「自分(親)の代わりに、思い通りにいかない子供を”修理”して、
自分の理想の形(高得点・進学校)に作り変えてくれる便利な外注先」
になっていやしないかな、と。
言い換えれば、「塾や家庭教師は本当に子供の幸せに寄与できているか?」
という疑問が浮かんだのです。
それとも、そんなことは考えず、お金を払ってくれるお客さん(親御さん)の思うがままに成績を上げることだけに集中するべきなのでしょうか。
講師が教える動機は何?
家庭教師業界を見ていると、指導の質が問題視される講師の派遣を辞めさせることができず、クレームを受けるという事案も多くあります。
一概に悪い人ばかりではないですが、事実、そういう講師がいるというのが現状です。
塾や家庭教師で講師を担う人材の多くは大学生です。
受験勉強をして誇らしい学歴を武器に、一般的な飲食店などの相場より良い時給で働くことができます。他ならぬ僕自身も大学受験で学習塾に通っていましたが、先生は大学生でした。
かつ、そのような教育系のアルバイトは就活にも役に立ちます。
「人に寄り添う」や「コミュニケーション」等という軸を作った上で、
金融・コンサル等の業界でエピソードを語りやすい。「就活に有利」という
募集文句を掲げる塾や家庭教師会社も見つかります。
一方、学校で長年教職をやっていて引退した学校の先生がそのような仕事で
働いている場合もあります。
そういう人は長年の経験で確立された指導方針を持っており、教え方を子供に即して柔軟に変えることができない人も多い、という話をご家庭で聞いたことがあります。
「大学の学歴と指導の実力は必ずしも一致しない」
「教職の年数と指導の実力は必ずしも一致しない」
これは、言えます。
究極、「教えるのは自分のため?子どものため?」という問いに行き着くのではないでしょうか。
どちらか一方しかない、ということはあり得ませんが、「教育」という分野においては、前者の割合が大きいときの厄介度が異なる気がしています。
教育とは、大人側の自尊心を満たすために存在しているわけではないですからね。
「教える仕事」はなぜあるのか?
そもそも、「子供に教える仕事」は何のためにあるのでしょうか?
学生が就活でガクチカにするため
学生が効率よく稼ぐため
学生が学歴を売りにしやすいから
教師が自分の自己肯定感を高めるため
引退後も教師としての威厳を保つため
親の不安を解消するため
...
違いますよね。
そんなわけがありません。
僕は
「子供が幸せになる手助けをするため」
だと考えます。
次の世代を担う子供たちが自分で人生の舵を切っていく、その過程や方法の基礎を知るために「勉強」「学び」があって然るべきです。
そのための単なる手段として受験や試験は存在します。
何か見据えるものがあり、そのために必要ならもちろん受験を勧めます。
見据えるものがわからないのなら、一緒に考えます。
だから授業や指導が必要だとも、一概に言い切れません。
終わりに:子どもだって今を楽しまないと。
この前、指導した生徒はなぜか僕に影響されて「留学してみたい」と
思い始めたらしく。そういう道が叶いそうな進学先を探しているそう。
最初は何もやりたいことなんてなかったのに、子どもも変化するものです。
また、そんな目標も一時的ではかないものかもしれません。
子供のころの夢を大人はみんな忘れてしまいます。
別に素晴らしいことでなくてもいいのです。
心から湧き出た本音なら、それに向かうこと自体が毎日を想像の何倍も彩ってくれます。
何もかもめんどくさいからと蛇足で生きるのをやめるには、そういう「押し付けられたことではない」本音を見つけることが大事なのではないでしょうか!と思うばかりです。
この前、お話しした生徒に
「休みの日は何するのが好きなの?」
と聞いたら、
「ずっと寝てます。寝てるか、TikTok見てます。」
と返ってきました。
さて、この子が塾や家庭教師を始めたらどうなりそうでしょうか...。
そういうことを日々考えています。