最初はひたすら「褒め」続けた
「極端に勉強が嫌いで他の先生ではどうしても変化がないので、今回新しく
お願いしました」
という生徒の指導をしたことがあります。
わからない問題があると「ああもうダメだ、わからん」と、
すぐに投げ出してしまいます。
そしていくら分かりやすく噛み砕いて説明をしても、全く理解している様子がありません。
最初、僕は「ひたすら褒め続ける」しか対処法が思いつきませんでした。
少しでも注意しようものなら、鼻を曲げて指導どころではなくなってしまいます。
だから、一時的に褒めて気分を高めてあげるしか思いつきませんでした。
何をするにつけても「いいね」と前向きな言葉だけを使うようにしました。
宿題の丸つけでもバツをつける前にヒントを出し、「もう一回やってごらん」と伝えました。
そして正解できると「すごいね」と伝えます。
この繰り返しでした。
「褒める」を「感謝」に変えてみたら...
ただ、これを繰り返すうちに、
これを続けていては「他人の評価」に一層敏感になってしまうし、
「褒めなれないと頑張れない」という心理になってしまうのも良くない、
と考えるようになりました。
外的な動機づけは一時的には効果がありますが、長続きしません。
「テスト頑張ったらこれ買ってあげる」と言われるとその時は頑張るけど、
その「報酬」がないとやる気が出なくなるという、あの見慣れた光景です。
だから、思い切って伝え方を「評価」から「感謝」に変えてみました。
「そうやって綺麗に書いてくれて助かる!」
「ありがとう!」
すると徐々に、「楽しい」や「先生となら勉強できそう」と言ってくれるようになっていきます。
勉強の理解度という意味では大きな変化はありませんが、話していくうちに心を開いてくれているなという感覚がありました。
日頃の出来事も、大ぴらに話してくれるようになりました。
今振り返ると、「極端に勉強が嫌い」というのも周囲の決めつけに過ぎなかったのではないかとさえ思います。
子育てにおいて「あなたは〜なんだから頑張りなさい」という言葉はあまり良くない言葉とされます。その「〜」に何を入れても、子供にとっては「縛り」になるからです。
いろんな意味で子供のことを「決めつけない」ことが大事になるなと実感した体験でもありました。褒めることも遠回しにはこの決めつけになり得るということを鑑みれば、「感謝」に切り替えた判断は賢明だったなと思います。
「勉強嫌い」に見える様子は、単に「どうすれば気楽に楽しく進められるのか」という方法がわからない事の現れでしかないかもしれないのです。
「楽しい」を強調しすぎるとあんまりウケがよくない...
その子は、「楽しいから」僕の指導に価値を感じてくれました。
「成績が上がるから」ではありません。
ただ、楽しいから価値を感じてくれたのです。
「勉強における楽しい」を引き出すことを日頃の目標としている私は、
何よりの喜びでした。
その子は無事に受験にも合格し、新たな一歩を踏み出しています。
積極的に自主学習にも励むようになりました。
成果を求めるのなら、成果を急かすのは得策ではありません。
どうすれば日々の勉強が楽になるか、あるいは、楽しくなるかを考えてあげることこそが、僕にとっての「成果主義」です。
遠回りのように見えて、子供にとっては一番心が安心する(実力を最大限に発揮できる)道だからです。
勉強において結果や成果を無視するというのは到底不可能なこと。
結果を出す喜びを知らない限りずっと空回りしてしまうからです。
でもだからこそ、そういった比較競争に溺れた子供たちを一度引き戻してあげる作業も大切だと考えています。
「楽しい」だけでも、続けられるのなら成果に繋がるのです。
終わりに:なぜ子どもは勉強を嫌いになる?
この子に関して言えば、そもそもなぜこんなに勉強が嫌いになってしまったのかということについて、「結果を出さないと意味はない」という風潮の影響が少なからずあると思います。
「結果を出さないと意味はない」とはどういうことかというと、
「1科目でも低い点数があれば嫌な目をされてしまう」ということです。
数学が10点でも、国際的に活躍する通訳になる才能を持っているかもしれない。国語が5点でも、世紀の発見をする数学者になるかもしれない…。
そういう価値観は、まだまだ発展途上です。
話が壮大になりすぎるので程々にしますが、「万能型」「平均的」を求められる義務教育には、生きづらさを感じる子どもたちが多いように僕は見えます。
確かに世界的に見ても、日本の教育水準は高いです。
一方、世界的なイノベーション産業・企業は生まれていないのも現実です。
満遍なく点数が取れないと「才能がない」と錯覚してしまうシステムになってしまっては教養云々の前に、心が保ちません。
言い換えれば、楽しくありません。
実際、「平均的な人」は大量に生まれています。周知の通り「平均的な人」がする仕事は、基本的にAIによって安く手軽に代替できます。
「平均的」の逆は、マニアです。没頭する人です。
楽しんで、何かに熱中する人です。
上でお話しした僕の指導は、そういう価値観を反映しています。
「才能型」とでも呼ぶべき、尖った子どもたちが生まれつきの類稀な才能を活かせるよう「勉強」という視点から支えてあげられる機会を作ってお待ちしています。
これも、ココナラを始めた背景の一つです。