翔太は吊り革を握りながら、窓に映る自分を見ていた。
スーツの襟はくたびれ、顔には疲れがにじんでいる。
昨日の会議、また大きなミスをした。
上司の視線が刺さり、胃がまだ痛む。
(俺はいつまで経っても、打たれるとすぐに折れてしまう…)
そのとき、前の座席で男子高校生たちの会話が耳に入った。
「次の地区大会、絶対勝てねえよ」
「でも監督が言ってただろ、“心の器を鍛えろ”ってさ」
その言葉に、翔太の胸がざわついた。
二十年前の匂いと声が、一気によみがえる。
―――――
翔太は北星高校バスケ部の副キャプテンだった。
県大会どころか、地区大会の一回戦すら勝ち抜けない弱小チーム。
練習中も、ちょっときついメニューが出ると誰かが座り込み、
空気はすぐに冷めた。
その日も、走り込みの途中で後輩が倒れ込み、
仲間から怒号が飛んだ。
「お前のせいでやり直しじゃねーか!」
「こんなんやっても無駄だろ!」
不満は一気にキャプテンの亮に向かった。
「キャプテンが頼りねえからだ!」
亮の胸ぐらが掴まれた。
翔太も止められず、ただ見ているしかなかった。
(…やっぱり俺たちはバラバラだ。すぐ割れるチームなんだ)
「やめろ!」
笛の音が体育館に響いた。監督が低い声で言う。
「お前たち、心の器が弱すぎるんだ。
器ってのは大きさじゃない。強さだ。
ちょっと叩かれただけでひびが入る器じゃ、試合にならん。
割れるたびに終わりじゃない。叩かれてもなお耐え抜く強度を持て!」
沈黙が広がった。
亮は唇を噛みしめながら、涙をこらえ、拳を握った。
「…俺はまだ割れない!」
その声に、翔太の胸が震えた。
翌日。
またきつい走り込みの終盤、
足を止めそうになったとき、亮が叫んだ。
「今の一周、器を鍛えたぞ! あと十周で鉄の器だ!」
誰かが笑った。
「じゃあ俺はまだ紙コップだな!」
笑い声が広がり、空気が少し軽くなった。
その日から、
チームの合言葉は「心の器を強くする」になった。
ミスをしても、
「器を固くしたな!」
抜かれても、
「器を叩かれただけだ、まだ割れねえ!」
小さな声かけが積み重なり、少しずつ諦め癖が消えていった。
―――――
地区大会の初戦。
相手は県ベスト4の南陵。
序盤から圧倒され、大差がついた。
観客席からは「やっぱり北星は弱い」と笑い声が聞こえる。
それでも翔太たちは、前みたいにうなだれなかった。
「ここで諦めたら器が割れるぞ!」
「まだ強くできる!」
声を掛け合い、最後まで全力で走り切った。
結果は負けだったが、
ベンチに倒れ込んだ仲間の顔には、悔しさと同時に確かな誇りがあった。
「俺たち、器を強くできたよな」
―――――
電車が駅に止まり、翔太は現実に戻った。
高校生たちは笑いながら降りていった。
(心の器か…)
二十年前、あの練習で確かに自分は“割れにくくなる感覚”を覚えた。
だから今の自分だって、まだ器を積み直せるはずだ。
翔太は深く息を吸い、ホームに一歩踏み出した。
その足取りは、あの頃の体育館で響いた声のように、力強かった。