ある朝、ふとスマホを見ていたら、
“推し”の芸能人が笑っている写真が目に入った。
会ったことも、話したこともないのに、
「この人は信じられる」って思ってしまう。
なんの保証もないのに──不思議なくらい、信じたいって思える。
そんな自分に気づいて、
胸のどこかが、すこしだけチクっとした。
私には、「信じたいのに、信じられなかった」人がいた。
それは──親だった。
たしかに、してもらったことはある。
ごはんを作ってくれたし、学校にも通わせてくれた。
病気のときには、看病してくれたこともあった。
でも。
私が泣いたとき、「どうしたの?」とは聞いてくれなかった。
話したいことを遮られ、
「甘えるな」と叱られた。
だから私は、いつの間にか信じなくなっていた。
「私は、親に愛されていなかったんだ」って。
でも──頭では、わかってる。
親なりに、一生懸命だったことも。
私のことを、思ってくれていたことも。
それでも、心が納得しない。
それでも、「愛されていた」とは、どうしても思えない。
おかしいよね。
知らない芸能人のことは信じられるのに。
ずっとそばにいてくれた親のことは、信じられなかった。
それでもね、最近すこしだけ、気づいたことがあるの。
もしかしたら、
親は「特別な存在」じゃなくなっていたのかもしれない。
あまりにも近くにいたから。
あまりにも「いて当然」だったから。
してくれたことは、たしかにあった。
でも、してほしかったこと──
言葉にしてほしかったこと、
聞いてほしかった気持ち、
それは届かないままだったんだと思う。
それでも私は──
「愛されたかった人間だった」
ただ、それだけだった。
だから今、こうして誰かにやさしい言葉を届けたいと思っている。
誰かの涙にそっと寄り添いたいと思っている。
もしかしたらそれは、
あのとき、自分が言ってほしかった言葉を、
誰かに届け直しているのかもしれない。
親を許すことが目的じゃなくて、
「信じられなかった私」を、今の私が受けとめてあげること。
それが──
私にできる、未来のためのひとつのことかもしれない。
そう思えた朝、
空は、いつもより少しだけ澄んで見えた。