死を考えると、人生が変わる。
少し怖い話に聞こえるかもしれません。
でも、実は逆です。
「死」を遠ざけようとするほど、今を雑に生きてしまう。
反対に、
「人生には終わりがある」
と一度でも本気で考えると、
今まで気にしていたことが、急にどうでもよくなることがあります。
人からどう思われるか。
嫌われないか。
失敗しないか。
会社で評価されるか。
誰かに陰で何を言われるか。
そんなことばかり考えているうちに、一日が終わる。
そして、一年が終わる。
気がつけば、
「自分の人生なのに、自分のために生きていない」
という状態になってしまいます。
そこで思い出したいのが、
メキシコの「スカル」です。
メキシコでは、死者を迎える文化として「死者の日」が知られています。
色鮮やかな装飾。
花。
写真。
食べ物。
そして、特徴的な頭蓋骨のモチーフ。
日本で頭蓋骨というと、
「怖い」
「不吉」
「死」
というイメージが強いかもしれません。
ところが、メキシコの死者の日では、死をただ恐れるだけではなく、亡くなった人を思い出し、家族や文化の中で故人とのつながりを感じる機会として受け止められています。
ここが、とても面白いところです。
死を隠すのではなく、
「死があるから、生きている今を大切にする」
という考え方につながっているからです。
もちろん、メキシコの文化を単純に一つの考え方で説明することはできません。
地域や家庭によって過ごし方も違います。
それでも、スカルという象徴から考えさせられることがあります。
それは、
「人生には終わりがある」
という、誰も逃れられない事実です。
この事実から目をそらさないことは、決して暗いことではありません。
むしろ、
今をどう生きるかを考えるきっかけになります。
例えば、
嫌な人に気を使い続ける人生。
本当はやりたくないことを我慢し続ける人生。
「いつかやろう」と言いながら、何年も先延ばしする人生。
誰かの期待に応えるためだけの人生。
そこに、
「あと何年あるのだろう」
という視点を入れてみます。
すると、少し見え方が変わります。
今日の嫌なことに、一週間分の感情を使う必要があるのか。
一人の人間の言葉に、人生全体を左右される必要があるのか。
失敗を恐れて、やりたいことを何年も先送りしていいのか。
考え直す余地が生まれます。
人生で怖いのは、
失敗することだけではありません。
「何もしなかったこと」です。
挑戦しなかった。
言いたいことを言わなかった。
会いたい人に会わなかった。
身体を動かさなかった。
やりたいことを始めなかった。
助けを求めなかった。
そして時間だけが過ぎていく。
これは、かなり怖いことです。
なぜなら、
過去は取り戻せないからです。
だからこそ、
「いつか」
という言葉には注意が必要です。
いつか筋トレを始める。
いつか勉強する。
いつか副業をする。
いつか旅行する。
いつか人間関係を整理する。
いつか自分らしく生きる。
でも、
その「いつか」は、
自動的にはやってきません。
今日やらなければ、
今日という日は終わります。
明日も同じです。
だから人生を変えるのに、
いきなり大きな決断をする必要はありません。
むしろ、
小さく始めることです。
腕立て伏せを5回する。
10分だけ歩く。
本を1ページ読む。
スマホを置いて早く寝る。
誰かに「ありがとう」と伝える。
ずっと抱えていた悩みを、誰かに話す。
これで十分です。
人生を変えるのは、
大きな一発ではありません。
小さな行動を、
「今日もやった」
に変えていくことです。
そして、ここで一つ重要なことがあります。
一人で頑張らなくていい、ということです。
「自分の人生なんだから、自分で何とかしなければ」
と思ってしまう人ほど、
誰にも相談できなくなります。
悩みを抱える。
我慢する。
考え続ける。
疲れる。
何もしたくなくなる。
そして、
「自分は何も続かない」
と自分を責める。
でも、
それは意志が弱いからとは限りません。
単純に、
一人で抱えすぎているだけかもしれません。
人は、
誰かに話すだけで気持ちが整理されることがあります。
今日やったことを誰かに報告するだけで、
「明日もやってみよう」
と思えることがあります。
筋トレでも同じです。
一人なら、
「今日は面倒だからやめよう」
で終わります。
でも、
「今日は腕立て伏せだけやりました」
と誰かに報告する環境があると、
もう一回だけやってみようと思える。
「今日は何もできませんでした」
と報告してもいい。
それでも、
次の日にまた戻ればいい。
重要なのは、
完璧に続けることではありません。
戻ってこられる場所を持つことです。
これは、悩みについても同じです。
誰にも言えない愚痴。
家族には言えない不満。
職場で感じるストレス。
人間関係のモヤモヤ。
「こんなことで悩むなんて」と自分を責めてしまうこと。
解決策がすぐに必要とは限りません。
まず、
吐き出すだけでもいい。
人に話すことで、
頭の中でぐちゃぐちゃになっていたものが、
少しずつ言葉になります。
言葉になれば、
「自分は何に困っていたのか」
が見えてきます。
見えてくれば、
次に何をするかを考えられます。
つまり、
話すことは逃げではありません。
前に進むための準備になることがあります。
ここで、
最初のスカルの話に戻ります。
頭蓋骨を見ると、
「死」を連想します。
しかし、
死を意識することは、
生きることを諦めることではありません。
むしろ逆です。
限りがあるから、
今日を大切にする。
限りがあるから、
くだらない争いに時間を使わない。
限りがあるから、
大切な人との時間を大切にする。
限りがあるから、
自分の身体を大切にする。
限りがあるから、
やってみたいことを先送りしない。
そして、
限りがあるから、
「今さら遅い」
という言葉を疑ってみる。
40代でもいい。
50代でもいい。
60代でもいい。
始めるのに遅すぎる日は、
意外とありません。
ただし、
始める日を先送りしていると、
本当に時間だけがなくなっていきます。
人生で一番危険なのは、
失敗することではないのかもしれません。
「まだ時間がある」
と思い続けることです。
今日という日は、
今日しかありません。
だから、
人生を大きく変えようとしなくていい。
今日、
一つだけ変える。
誰かに話してみる。
5分だけ身体を動かす。
やりたかったことを一つ調べる。
嫌なことを一つ断る。
スマホを置いて、自分の時間を作る。
それだけでもいい。
スカルは、
「死ね」
と言っているのではありません。
むしろ、
「いつか終わるから、今を生きろ」
と考えるきっかけになります。
他人の人生を生きている暇はありません。
誰かの評価だけを追いかける必要もありません。
嫌われないためだけに、
自分を消す必要もありません。
完璧である必要もありません。
今日できることを、
一つやる。
そして、
明日また一つやる。
人生は、
その繰り返しです。
もし今、
「変わりたいけど動けない」
と思っているなら、
大きな決断をする前に、
まず誰かに話してみてください。
悩みを言葉にするだけでもいい。
愚痴を吐き出すだけでもいい。
筋トレをしたことを報告するだけでもいい。
今日の小さな挑戦を誰かと共有するだけでもいい。
一人で抱えている間は、
悩みも挑戦も、
全部自分一人の仕事になります。
でも、
誰かと共有すれば、
少しだけ軽くなることがあります。
そして、
「今日もやった」
という小さな実感が積み重なると、
いつの間にか、
自分の人生を自分で動かしている感覚が戻ってきます。
人生は、
思っているほど長くない。
だからこそ、
今日を雑に扱わないことです。
死を思い出すことは、
生きることを暗くするためではありません。
今を、
ちゃんと生きるためです。
そして、
まだ何も始めていないなら、
今日が最初の日でもいいのです。
ここから先は、
「いつか」ではなく、
「今日」にしてみませんか。
最後に。
もし今、
「誰かに話を聞いてほしい」
「一人で悩みを抱えるのに疲れた」
「筋トレや朝活を始めたいけれど、一人だと続かない」
「何かに挑戦したことを報告できる場所がほしい」
そう感じているなら、
一人で全部解決しようとしなくても大丈夫です。
悩みを話す場所。
愚痴を吐き出す場所。
筋トレや小さな挑戦を報告する場所。
そして、
「今日もやった」と言える場所。
そんな環境があるだけで、
最初の一歩は少し軽くなります。
一人で悩み続けている時間も、
一人で「明日からやろう」と考え続けている時間も、
戻ってきません。
だからこそ、
完璧に変わってからではなく、
変わる前の今、
動いてみてください。
必要なのは、
人生を一気に変えることではありません。
誰かに一言話すこと。
今日の小さな行動を報告すること。
その程度の一歩で十分です。
もし、
「少し話してみようかな」
「今度こそ何かを続けてみようかな」
と思ったなら、
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無理に頑張る必要はありません。
まずは、
今の自分に必要なのが、
「話を聞いてもらうこと」なのか、
「一緒に行動を続ける環境」なのか、
それを確かめるところからで大丈夫です。
人生を変えるのは、
大きな決断ではなく、
小さな一歩かもしれません。
その一歩を、
今日にしてみてください。