昨日、仁和寺行ったのよ..
仁和寺は京都の西にある真言宗の寺院で、御室桜っていう平安期にはあった桜の美しさが有名なんだよね。京都でソメイヨシノはもう散ってしまったけど、遅咲きのこの桜は今が見頃なんじゃないかとおもって、ピカチュウとみてきたんだよね。
インバウンドすごいって、日頃の報道でも皆さん知っている通り、雪崩れ込むように観覧する人がたくさん来ます。
ここは広いのですが、人だかりでわちゃわちゃしていて、全然落ちつかない。
なにより、落ち着かないのが、「え〜、御朱印〜、御朱印、いかがですか〜?」「素敵なお守り買って帰られてくださ〜い!」という呼び込みの声。
おいおい、ここって、エンタメパークだったっけ?
お寺ってのは、精神性を大切にする聖域じゃないのかな。
いきなり商売の掛け声かけてしまうスタッフがいるということは、お寺の方から、買わせろ、売り上げを上げろっていう圧力がかかっているってことだよね。10時過ぎから行ったけど、仁和寺にいるのは、おおかた一般スタッフさんばかりで、責任者の僧侶の姿はほとんど見回っていないようで、見かけなかった。東寺もおなじ真言宗の寺だけど、こちらはきちんと僧侶たちが寺院内を見回っているし、必要な部署に待機している。一般人はその手助けとしているだけなんだ、ということが無関係な人でもわかる。
けど仁和寺は違う。僧侶が全くいない。代わりにバイトさんのような一般人で運営されているなんとかパークのように、設営されたテントで人が物を売り上げている。寺の仕事は本来仏教の教えを民衆にとくところなはずで、美術館ではない。こころの内側の世界に、日頃そんなことを考えたこともないひとに、一考してもらうきっかけにしてほしいということで、一般公開しているのだと思っていた。
でも、いまの仁和寺は違う。寺の建造物を単に見まわるツアーだ。
将棋の竜王戦でここが使われたのはまだいい。清浄な勝負をする場所として仁和寺はふさわしいと思えるからだ。
しかし、私が許せなかったのは、ファッション系大企業の撮影隊が仁和寺の宸殿を占拠していたことだ。そして、裸に西陣織とみられるガウンを羽織った外人系の若い子モデルがポーズを取り、大人数のスタッフや機材が、その名勝の北庭を背景に、商品を撮ることに夢中になり、清浄であるべき場所を雑然とした気配で満たしていたことだ。
外資系大企業の営利目的のために、仏の清浄な場所が汚されている、これは本来仏教徒であればとても嫌な物なのではないか、と思う。
それを許可するのでれば、現地撮影ではなくて、CG合成ができる昨今、モデルの背景に仁和寺の寺の風景のはめ込みをしてほしい。
聖なる物と俗なる物との境界線がない、仁和寺の姿勢に、心底腹が立った。
腹を立ててはいけないのが、仏教だとしても、本当に信仰心がある人からすれば、これ以上の侮辱はないとおもう。
なぜ、そんな物を許可したのか?
むろん、無料でそんなこと許可していないだろう。
大きな額のお金をもらっている。
一方で、寺は、ひとの精神の柱、聖なる場所だからこそ、無税。
そして仏教を国教としてきた時代からの国民の財産を国民の代わりに守ってくれているから、寺は無税、何じゃないんだろうか。
そして、ここは、真言宗仏教徒・そのほかの海外から訪れる仏教国信徒の大事な場所だから、清浄であらねばならない。
営利から離れたこころの領域を大切にしているからこそ、僧侶は尊敬を集め、市民権・暗黙の権威を与えられるのではないだろうか。
そんなにインバウンドの金が欲しいか!
昨今、京都市内では六人に一人が相対的貧困にさらされている。
ご飯を食べられない子供のために、こころある市民たちが子ども食堂を運営し、区役所も温かい対応を心がけている。
その一方で、営利に励む京都の寺社。
真っ当にやっている寺ももちろんあるだろうけど、
素敵な御朱印を売っている、おしゃれなお守りを売っている、おもしろい祈祷サービスがある.....そこで一見さんで押しかけた人々と、本当に心の癒しをもとめ、精神の軸を置いて訪れている人と、どっちを大事にすべきなんですかって、いいたくなる。
ある九州の宮司さんが、親の急死で跡を急遽継いだとき、その神社は1日五人参拝程度で、年間収益は200万から300万、とても食べていけない状態だったという。そこで、アイデアで地元の切り絵作家とコラボしたり、イラストレーターを巫女に雇ってデザイン性のある御朱印に切り替えたりしたことで、正月三が日で今年、5万人の人手を記録した、とニュースで笑顔で語ってた。
さらには、神様の下り物を(供物)調理して、おしゃれなカフェでだす、かみさまのたべもの、という飲食場所を開店すると嬉しそうにおっしゃっていた。
神社に寄進された昆布や米、酒などの供物を宮司がお祓いして、そのあとそれをありがたく調理するのだそう。
どう思いますか。
営利企業と何が違いますか?
たしかに、食っていけないことには同情する。
でも、心の世界が専門で、物質的なものにとらわれないところが他にありますか。日本人が心を休める場所である寺や神社が、金に目の色を変えて、テーマパークとして営利に転化している今の実情。
政治家よ、これがインバウンドで、我が国にもたらしたかったものなのか?!ツーリスト外人だけじゃない、日本人の精神の柱、実は寺や神社の心の内部から、しっかり踏み躙られてますよ。
神社や寺は、その昔、その土地の社会福祉の基地だったんです。
冠婚葬祭だけでなく、日常、迷った人、グレた子供、困った人がいる、辛い思いを抱えた人がいる、そういうひとを掬い上げる相談場所として、社会福祉の中心として機能してましたよね。
でも、経済発展期に福祉は、前の時代ほどニーズがなくなって、寺や神社はイベントの時だけに行くものになり、心や物事の中身を考えることのない時代になっていきました。すると、寺や神社は求められなくなるほど、檀家さんや信奉者が離れて、物質的にも貧乏になっていくんですよ。
聖俗きちんとわきまえ持って切り離そうとする寺ほど、融通が利かないなってことで、煙たがられますし、お金が稼げなくなります。
ゴータマ・シッダールタことお釈迦さまは、あちこちで金の欲から離れろ、と弟子たちに教えました。だから初期の弟子は修行を支える大衆から必要最低限の施しをうけて、暮らしていた。
多分、そのルーツを守ろうとしているタイとかカンボジアのような上座部仏教系の国は....いや、それだけでなく、チベット密教系とか、発展途上国系の仏教国の信徒からしたら、度肝抜かれるような、仏教を看板にした俗の世界が日本中に広がっているんじゃないでしょうか。
そしてね、仁和寺で腹が立ったのは、それだけじゃない。
五重の塔の見える、御室桜の庭園の前で、西洋白人女性がおっぱい70%以上、たわわにむき出しにした赤いドレスでスーツの男と、外人カメラマン携えて、写真撮っていたこと。
誰か止めろよ!!!
その場にたくさんの日本人ツアー客がいた。
爺さん婆さんがほとんどだけど、誰もなにも言わない。
そして、じいさんに至っては、相手の許可も取らずに、無言で一斉に自前のスマホやカメラで、外人女性のおっぱいを撮ってた!
この色ボケジジイ、お前ら、早くあの世に行け!!
と、私は心の中で、正直思った。
仏教の心もなんの関心もない、この日本のジジイたちは、日光に照らされ、ただぼ〜っとしてたのに、女性のボディがゆれたとたんに即反応。
関心があるのは、おっぱいだけか!!
関心を持つなとは言わないが、せめて、聖俗のけじめをつけろ!
これ、私、間違ってるでしょうか????
そして、誰一人僧侶がそれを止めに来ない、スタッフもおふだ?お守り売りに専念して気が付かないというこの仁和寺の惨状に、私は日本の滅亡を予感して、思わず涙が出そうになった。
しかも大企業のモデル撮影にミーハー心で、顔をだす僧侶たちはいたが、ここでこういうことがおきているのに、誰も顔を出さない。
お前らも僧侶やめろ、と正直心の中で思った。
仏教の大学に通って、教授に敬意を払って学んでいる自分がすっかりバカを見た気分になった。そして、結局周りの日本人にだれにも注意されずに撮影を終えた、おっぱい外人たちは、1時間くらい撮影をつづけたあと、「やったね!」とカメラマンとハイタッチをしていた。それが私には、「してやったり!」のサインに見えた。
日本人からすると、アカデミー賞授賞式かといわんばかりの裸同然のドレスとグレーのスーツからみると、日本での結婚式の撮影のためだったのかもしれないが、これをSNSで海外に拡散されてみろ!
次から次と、おなじことをしに日本にやってくる外人が増えるじゃないか!
鳥居で懸垂する外人もいる。
これがイスラム教なら、この外人たちは殺されても文句は言えないだろう。
私、厳しすぎますかね?
スピリチュアルが、統合統合言ってる中で、これだけは許せない、は心の反映っていうサムネイルを見かけたんですけどもw、......自分にとってこれだけは許せない。やっぱり許せねぇよ。
世の中、増税で、ご飯も食べられない子供達がいる中で、金儲けに一生懸命の寺と神社。そんなところに、聖なる神様とか崇める対象っていますかね、笑っちゃうでしょ。それを守ってるはずの、僧侶や宮司がそもそも、自分たちが守ってるものは聖なるものであること信じてないでしょ。
日本人は、中国人を見下す発言多いけど、お前らも同じ穴のムジナよ。
この爺さんたちをみればわかる。
このひとたちがこの国をこんなにし、若い世代の未来を閉ざした。
そういうふうにしか思えない。
おっぱい撮影・京都観光ツアーに出かける金と暇があったら、苦学生や自分の欲しいものを親に言えない子供たちのために、それを捧げろよ。
よっぽど成仏するよ。
聞いてみたところ、京都市役所も、治外法権的に存在する京都の寺社には、自由裁量権が認められているので、おかしなことがあっても、ものが言えないらしい。
寺よ、神社よ、インバウンドのエンタメパークとして稼いでるなら、市税いれてください!
京都潤っていいね〜って?
馬鹿言え。
本当のインバウンドの被害者は、心の世界も穢され、市税を注ぎ込んだ生活の足がうばわれ、大きな企業が出店した観光客向けのお店だけが潤って、外資で完結するので、なんの恩恵も受けない京都の一般市民なんですよ。
その実情が他県民には知られずに、平均所得でいろんなことに耐えている、京都のヒエラルキーの真ん中にいる京都市民は、実情も知らないやつらに腹黒いとかイケズとか悪口言われて、もう踏んだり蹴ったりですよ。
個人的な話。先日大学で、半年ぶりに会った香港の学生に、「どうしてた〜心配してたんだよ」と声をかけられた。「昨年、嫌気がさして、こっからいなくなったでしょ。」と言われて、忘れてたけど、大学としての存在意義が、仏教の後継にしか目を向けてない運営の印象で、嫌気がさしたことを彼女に愚痴ったことを思い出した。
そしてやっと、時間をおいて、また気を取り直して復学したのに。
早速、なんか京都の観光寺でこんなものを見せられちゃあ。
不信感でいっぱいよ。
大学にいくことを目的に、っていうより、聖俗のなかでバランスをとっている修験の先生や大学のM先生に哲学を教わることを目的に大学に通うんだ。
と改めて、決意を新たにした。
まぁ、心落ち着ける時間をもとうと仁和寺に行って、かえって激怒して帰ってきたわけだけど、一つ収穫はあった。
それはモンゴルで色々お世話してくれた、モデルもびっくりの容姿の若き王子アカくんの名前の由来に気がつけたこと。
すごいイケメンだけど、日本語で男の子の名前で赤ってなんか違和感あるよねぇ、どんな意味なんだろ、と思ってたんだけど、このアカが、仁和寺の霊廟にある札に書いてあった、閼伽をみて、そこからきていることに、いまさらながら気がついたこと。
閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。サンスクリット語のargha(アルガ)の音写で、功徳水(くどくすい)と訳される。
サンスクリット語のarghaが、モンゴルに流れて行って、アカーになったのか!
すると、彼は聖水のような名前を親から与えられており、親もおそらくもともとチベット密教系なのだろう。
意味をしると、イケメンにふさわしい名前であったことがわかる。
日本語に直すと、ニュアンス的に、聖泉(いずみ)くん、あたりだろうか。
ああ、彼のイメージはまさに、そんな感じ。
モンゴルに帰りたい。現代日本人、みんなどこかおかしいよ。
すくなくとも、普通のモンゴル遊牧のひとは、いいこととわるいことの線引きしっかりする人たちだったよね。って、心の中のモンゴル魂はそう思った。
物質的な欲を離れて、民衆の苦しみに寄り添いながらやってる海外の仏教系僧侶はたくさんいる。寺の一般公開はいいよ。でも前売りチケットで入場制限をちゃんとしようよ。儲けが目的でないなら、それしてもいいはず。
本当に思いがあって寺に訪れる人たちは、手間がかかっても申し込むよ。
どんどん稼ぎどきだ!といわんばかりに人入れないで。
そしてね、入り口で、どうみても肌の露出が多すぎる外国人を入れない、という判断もできるはずだよ。お金に目が眩んでいなければ。
日本沈没、あるとすれば災害じゃないよ、きっと人災だよ。
そんなふうにおもえて、気持ちがおさまらない1日でした。
私、間違ってますかね、仁和寺さんってとっても悲しくなりました。
空海はどう思っているでしょうね。