お写真は、3月1日に行われた、宝鏡寺でのひな祭りの白拍子の舞です。
宝鏡寺は人形供養の尼寺として有名で、毎年この時期に白拍子が舞を奉納するという行事を公開してくださっています。
まるで平安の宮中?とみまごうほどのこのような本格的なものが京都では目の当たりにできるんです。行事の間、平安期の日本と現代日本、見える人見えない人含めた、異世界現実世界を交差した不思議な次元空間が出現した気がしました。こちらの白拍子さんたちもそれらしきことをしている、のではなくて、文献を研究した上で、大学レベルで、当時を再現しようと試みている白拍子研究会の方々で、なんちゃって白拍子とかではないんですよ。今では京都の大きな行事には欠かせない存在となっていらっしゃいます。
足で床を叩き、拍子(=数字をカウントする)を取り、和歌を読みながら、空間を鈴の響きで浄化していく、白拍子さんたち。
みんなで「場」を作る、と言う発想は、日本古来からの大事な価値観だったと思います。同調圧力とかそう言う意味にすり替えられて行きましたが、本来は、仏教から来ている価値観だと思います。
仏教では、一瞬が次に飛ぶ次元世界を決めます。そしてそれがあまりに一瞬なので、連続しているように体感されるけれども、それらは決して未来にがっちり繋がったようなものではなく、途中でさまざまに無数に無限に分岐していくなかのひとつの点(次元世界)です。
つまり、人は、その一瞬の決断が、次を作り出しているんです。無意識レベルで決断しているので、自分が決断したという自己責任を感じにくいんです。
だから、一瞬一瞬を大事にしましょう。
この分岐点で出会ったひととひと、時空間を共有したということは、いかに貴重なことであるか。ならば、それを味わいましょう。
気と気が交差し、場が作り出される、この磁場は全てのものが関わり合い、お互いに影響し合い、出現したもの。仏教でいう縁起によるものである、というそういう思想です。
私たちは主人公であるとともに磁場の構成員なんです。
これを平安期の日本人は知っていたんですよ。
スピリチュアル、いまさらです。
平安期の日本人はもろにスピリチュアルを生きていました。
その様が形式になったものが、こうやって行事のなかの端々、残った遺物の中に紛れていて、行事を繰り返す中で過去を辿るための材料が提供されているわけです。
なんだかわからないけど、私たちに伝わってきたもの。
その形のなかにあった意味に再びつながったとき、私たちはきっと日本人が古来から持っていた精神世界を完全にとりもどすことになるでしょう。
私が算命学に出会った時、感じたのもそのような感覚です。
算命学を学んで、形は非常に似ている。しかし、解釈が全く違う。
これが私が算命学に葛藤した原因でした。日本人が解釈する解釈とユーラシアの遊牧社会がどう解釈するかというその思考のプロセスが違う、という違和感だったんですね。そこで、自分の記憶を辿りながら、プロセスを修復していき、技法の取捨選択をして、現実にプロファイリングとして使えるかどうかという実学に戻して行ったというような感覚があります。
だから算命学鑑定士さんと自分は基本的に立っている位置が全然違うと思うんですよね。型は同じ。でも使い方が違う。
型だけが日本に伝わり、その型を通じて、私は自分の記憶と繋げていくことができた。だから、鑑定学校で算命学を学んでおられる人には、基本土台を学ぶ邪魔になるので、実学算命学のご依頼を遠慮してもらっています。
話を戻します。京都で色々とそのような伝統世界の人と出会うようになってから、専門家や特別な人以外にも、時代衣装を愛好する同好会のようなものが全国あちこちに存在することを知りました。面白いところで言えば、戦国の騎馬隊を再現する同好会。甲冑を自前で持ち、昔ながらの小型の馬に乗り、早駆けをしながら的を射る、とか、平安期の傘を被った道中衣装を着て、世界遺産を歩いたりするような会だったり。狩衣をきて、公家の文化行事を追体験する会だったり。
そんな人たちの存在が思った以上にたくさんいることに驚いて、この人たちはやはり、前世の追体験をしているんだろうなと思わざるを得ないですね、って歌舞伎などでも働いている時代衣装関係の人に言ったんですよね。
「あ、それ私も思います。」ってその方は答えて、
「私のところに来る方は、らしきもの、じゃいやだ、っておっしゃる人ばかりで、本当にその時代にあったであろうものをちゃんと再現して、その時代の人になりたがるんですよ。そして、あるひとは、侍装束をご所望になって、当時の髪型、衣装を着て、お写真撮られるんですけど、その格好をなさったときに、なにかが完了した、という安堵感の表情をお見せになるんですね。」
「これが、どうしても生きているうちにやりたかったんですとその人はおっしゃる。そして、ご先祖様が今きっと納得してくれたと思う、って。その方は代々武士の一族で、家を背負ってこの方が最後の当主だったんですよね。それで、自分も一族に連なる、という意味で、その身分の侍の格好をなさって、撮影されたとき、すでにあの世におられるご先祖様と深いところでのつながりや愛情の流れを受け取って、一族の協働作業としてこの家系を守り、まとめ役を果たしたという安堵感を味わっておられたんです。
あの世に行っても、これで祖先に受け入れられる気がするってことでしょうかね。」
「それで、あ、私時代衣装の格好をお手伝いするだけではなく、その仕事を通して、見えるもの、見えないもの含めたヒーリングのお手伝いをしてるんだな、ってその時、強く意識させられたんですよね....」
来る時と帰られる時の顔が違う。それを見るたび、人の役に立てた、世界をちょっとでもエネルギーを調整できた、そんな喜びを味わっているというお話をされていました。
だとしたら、平安期や戦国期、輪廻してきたひとたちが日本にはたくさんいて、現代のなかでおさまれない何かを感じて、古き時代の記憶の世界に戻りたくなるのかもしれません。
私は、多分、カザフ系の遊牧民(国の名前はなかったような。)なんですけど、家の中心に火がないとやっぱり落ち着かなくて、石油ストーブが付いてます。そして、そのストーブでちょこちょこ料理をしたりしていて、それが夕食になります。一品料理と言われようが、ガスやトースターの調理の味と、やっぱり強い火力でじっくりと浸透させた料理の味は違うし、無意識に遊牧民生活を京都の中で繰り返してるんですよね・
で、そんな自分は、着物が好き、というか無性に惹かれる。
でもどの着物に対してもそういうわけじゃなくて、特定の着物・銘仙や古い着物の柄にすごく惹かれるんですよね。
そして、それを娘が着るともう無性に嬉しい。
私ははっきりいって、自分では日本の着物が似合わない人だと思っています。
そして着物を着ても、美しいとは思わない。やはり面長や卵形顔立ちのソフトな印象の日本女性がきたときが一番美しいなぁと思う。
なのになんでこんなに無性に着物に惹かれるのか、ということが疑問だったんですよね。
なんでなんだろうなぁと、思って、自分をカザフ系遊牧民という視点から考えてみたんですけど、私が惹かれる銘仙などの着物は、着物業界の中では、明治大正昭和初期に流行した、東洋的なものと西洋的なものが混じり合った意匠なんですよね。アンティーク着物と分類されています。
自分が似合うわけではないものに、こんなに心惹かれる理由はなんだろう?
という答えがなんかこの辺にありましたね...
これは世界の民族衣装図鑑からの出典なんですけど、ウズベキスタンの伝統衣装です。時代は18世紀とかなので、比較的新しい。
一方、こちら日本のアンティーク着物の銘仙の柄。
えらく似てると思いませんか?
果たして、アンティーク着物の説明文にあるような西洋のアールデコの影響を受けたデザインと言い切れるのでしょうか。
ルーツはユーラシアですよ、と私は言いたくなるんですよね。
ウズベキスタンは遊牧系の文化を持った国です。いろんな国との混血がめちゃめちゃ多くて、そこからわかるように、シルクロードの通り道だったりするわけですよね。行商をしていたアジアの人、中東の人、ロシア系の遊牧系のひとたちが交錯していた場所なんです。そこに、このような織りのデザインが残っているっていうことが、非常に興味深いじゃありませんか。
その発祥がどこなのかはわからなくても、そのあたりに残っていた。文化が南下していったり、東西に行き来する中で遊牧の中に残ってた。
そこんところが、重要だと思うんですね。
つまり、意図的なのか、たまたまなのかわかりませんが、私たちの歴史観の中から、なぜか、ユーラシアの存在感が消えてしまっている。
モンゴルに関して知っていることといえば?
チンギスハンと元寇だけ?
大きく言ったら、私たちが教えられてきた関係する外国といったら、アメリカ、中国、イギリス、ロシアくらいしかないんですけど、実際にはシルクロード由来と思われる遺物をみてもわかるように、どこの国以上に、ユーラシアとの交流は、平安期前から非常に深かったはずなんです。
そして、遣唐使が廃止された後、唐からもちかえった文化をそのまんま1000年以上日本の中であっためて、独自にアレンジしながら、発展させた文化が今、京都に残っているものなんだと思うんですよね。
そして、アンティーク着物は西洋由来とされているけど、本当にそうか?と。
アンティーク着物の時代って、ロシアと戦っていた時代も被りますよ。
「はいからさんが通る」の婚約者の少尉はロシアと戦って行方不明になりましたよね。そして、日本の騎馬隊の戦いの馬術はじめ基礎は、コサックとの交流の中で身につけたものとも言われています。
コサックは、最強の遊牧民部隊です。
つまり、わたしが言いたいは、このアンティーク着物のデザインって、西洋からもたらされたものではなく、ユーラシア地域の民族の中につたわっていたものが、満州やユーラシアに侵攻していくなかで、輸出入品として混じって遊牧センスで製造されてきたものが、戦勝ムードの中で人気を博していったものなんじゃないか、というひとつの自説です。
べつに西洋のアール・ヌーヴォー・アール・デコの影響とかではなく、ユーラシアの社会と日本との間に交易が再度起こったことの現れだったんじゃないかと思えるんですよね。満州の人たちは、非常に質の高い生活水準を暮らしていました。その場所で交易が盛んだったからですよね。満州の生活を本土の人たちは何一つ知らないんだ、と満州で育った老人達は皆言ってました。
日本が一番だとおもっているけど、満州は東洋のブロードウェイと言われていた。最先端が詰まった場所だった。と。むしろ日本本土は田舎もいいところだった。トイレが水洗当たり前だった自分たちには、本土のボットン便所は耐え難かったよ。なんて、あちこちから聞きました。
アンティーク着物は、ヨーロッパというよりは、ユーラシアとの交易の流れの中で生まれ、日本本土に流れ着いた一部がそれだったんじゃないかと、なんかそんなふうに思えたんですよね。
ユーラシアの人々の移動距離は、実際には現代の日本人が想像する以上にあったんじゃないかと思います。そこで培われた文化や知識のダイバーシティが生み出したものは陰陽が和合したすぐれたものが湧き出していて、その西洋的なものと中東や東洋的なもののすべてが混じり合ったルツボと古代の日本は繋がっていたんじゃないのか、と思うんですよね。
しかし、大学レベルで色々検証しないとそれは大きな声で言えるものではないのかもしれませんが。
しかし、なんかいつのまにか、ずれちゃってませんかっておもうんです。
建国まもない(そして唐時代とは全く違う民族で)たんに跡地に作られた中華人民共和国に日本が長らくお世話になったのでご恩返しすべき、のようなことをいう政治家がでてきたりもしてるので、んん〜??と首を傾げるし、それじゃあ、我々日本人が学んできた本当の歴史とはいったいなんだろう?と言いたくなったりしてるんです。それを探究してくれるのが、歴史オタク、民間レベルの歴史愛好家ですよね。どこまでも、どこまでも、喜びをかみしめながら、その世界を追求していくでしょうね。
時代衣装愛好家たちはそういう意味で、誰にどうみられるかなどかなぐりすてて、採算度外視だったりしながら、純粋に歴史を探究し、まっすぐに楽しみ、歴史を愛しているんですよね。おそらく、きっと玉堂星・龍高星さんたちなんですよねw。側から見ていて、どんな歴史学者よりも、この人たちは、すっごくピュア・ハートなオタクたちだなぁって、私は感じています。
で、結論として、自分がアンティーク着物に惹かれる理由は、歴史的にそうなのかどうかは十分な資料がないのでわかりませんから仮説ですが、おそらく遊牧民だったときにそれと似たようなものが身近にあったか、環境的によく見慣れた意匠だからだったんだろうなぁ〜と思ったんです。
つまり、アンティーク着物を日本のものとして愛しているのではなくて、アンティーク着物の柄行きからユーラシアを感じて、故郷を感じて、それを求めたんですね。
アンティーク着物を着ても、自分は女性としての自分を感じないんですよ。不思議なことに。これを男性の衣装としてきているのだという認識があるんですね。言ってみれば、ブータンの着物に似た民族衣装感覚ですかね。
本当はアンティーク着物の下に、スボンがあるとしっくりくるなぁという感じ。京都でそんな着方をしている男性を見かけたこともあって、あ、この人もきっと過去生でモンゴルあたりなんだなとか思ったことがあります。
そしてね、自分が着るよりも娘が着るのが嬉しいのは、自分の記憶の中を辿るとですが、遊牧民の男は(僕の地域だけかもしれないですけど)衣装って財産だったんですよね。京都もそうだと思うけど、蓄財の一種?の感覚です。
だって、自分で綿花とって織ってみたいなのができにくい地域もひろがっていて、半農できない場所では、衣装って、自分たちにはとてもありがたいものだった。だから、奥さんとか子供達が、綺麗な衣装をきて着飾って喜んでいるのを見るのが、甲斐性っていうかね〜。
僕は、それが一番の喜びだったんですよね〜。
日本でやりたいことがあんまり見つからないなぁ〜とおもってたから、(だって、馬飼えないし!)過去生で一番うれしかったことを、自然と今世にもちこしちゃったんだな、って気がついて、笑ったんですよね。
だから、男性着物も女性着物も案外どっちでもいいっていうか。日本の正統な着物好きには悪いかもしれないけど、そんな感覚で着物が好き。
で、やっぱり、現代のシンプルすぎる着物にはあんまり魅力を感じない。
にあわないのに、がちゃがちゃした衣装に惹かれてしまうんですよ。
この現代では、「変わった人」になるのかもしれないひとたちが、もしかしたら過去生を追体験しているのだと考えてみて。
そうしたら、変人って一人もいないって気がついてくるかも。
その人達からしたら、記憶喪失のまま、真剣に過去のなかの記憶に繋がろうとしているだけ。記憶喪失の人間が意識しないまま、ふと気がつくと夕食に寿司を握っていたりするような感覚で、自分の過去を味わっているのです。
たまちゃんは江戸文化が好きで、日本髪やかんざしとかに惹かれて、高枕を自作してたり、伝統系の工芸動画を飽きずによくみています。
そういう人間にとって、本当に歴史リアルを目の当たりにできる京都は、面白いところなんですよね。
日本髪を毎週結っているようちゃんは、そのうち花街に入るとか言い出すんじゃないかと、とても心配です。舞妓さんも成り手が減っていて大変そうです。
だから、そのまんま大きくなったら、日本舞踊もうまいし、本気でスカウトきかねません。
いやいや、うちの娘を、どこぞの金持ちのへんなおやじのお酌なんかだれがさせるか!
それだけは、絶対におかあさん、反対さしてもらいますからね!w