いまは分からない事があっても、良いマニュアルや、正解が、PCやスマートフォンの画面を叩けば一瞬で手に入る時代になりました。
最近のAIなんて本当にすごくて、知りたいことを投げかければ、まばたきする間に「概ね100点満点の答え」を返してくれます。
時間のない現代、これほど心強い味方はいませんよね。
でも、そんな多量なデータから選ばれた恐らく正解であろう「正解」に囲まれながら、ふと、大昔の不便だった記憶を思い出すことがあるんです。
(※小さい字でAIの解答が間違っていることもあります、再度調べてくださいなんて書いてある事もありますね😅)
私はファミコンやスーパーファミコンで育った「ゲームの創世記」の世代です。
ある時、兄がクリアした『ファイナルファンタジー5』を、攻略本も何も見ずに始めたことがありました。
ところが、途中でストーリーが全く進まなくなってしまったんです(;゚Д゚)
海の下に行かなければいけないのに、どこの街で誰に話しかけても「あそこへ行け」と言われるばかり。
インターネットもない時代です。
数日間、画面の中の同じ海をぐるぐると彷徨いながら、「どこへ行けって言うのよ……!」と途方に暮れていました。
諦めかけたある日、何もない海の真ん中で、なんとなく決定ボタンを押してみたんです。
画面が、パッと切り替わりました。
あの時の、体中の血がカッと熱くなるような、じわっと涙が出るような感動を、私は何十年経った今でもはっきりと覚えています。
正直、ゲームの細かいストーリーはもうほとんど覚えていないのに、あの「自分で見つけた瞬間」の体験だけは消えないのです。
その後、兄の部屋でゲームの「
攻略本」という存在を見つけました。
次のゲームからは、最初から攻略本を開いて、罠を避け、一番強い武器を最短ルートで手に入れ、いとも簡単にエンディングを迎えました。
……でも
そこには何の感動も、達成感もなかったんです。
エンドロールを見ながら、「あぁ、全部最初に見なきゃよかったな」と、なんだか寂しい後悔だけが残りました。
最近の「すぐ正解を求める」風潮を見ていると、あの時の、何も感動しなかったエンドロールを思い出して、少しだけもったいない気持ちになります。
漫画『ONE PIECE』のルフィは、世界の秘密を知るレイリーに「宝の場所」を教えられそうになった時、「つまらない冒険なら俺はしない!」と耳を塞ぎました。
『葬送のフリーレン』のフリーレンは、生きる魔導書の魔法使いゼーリエから「欲しい魔法を何でも一つやる」と言われた時、
「いらない。魔法は探し求めている時が一番楽しいんだよ」と、言ってのけていました。
きっと、本当に価値があるのは「正解」そのものではなく、そこへ向かってジタバタと開拓している「時間」そのものなのだと思います。
もちろん、今の私たちはみんな忙しい。
じっくり探求する時間なんてなくて、どうしても最短ルートの「攻略本(正解)」が欲しい時だってあります。
だけど、誰かが(あるいはAIが)弾き出した答えを「完全な正解」だと思い込んで、自分の頭でジタバタするのをやめてしまうのは、
少しだけ危険で、そして何より退屈かもしれません。
正解のわからない現場で、たまにAIにちょっとだけ手伝ってもらいながら、せめて最後は、他者(ひと)に「これ、どう思う?」って相談して、自分の頭で決める。
それくらいの「不便な余白」を残しておく方が、何年経っても忘れない、あなただけの本当の血肉になるような気がするのです。
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