よもやま日記

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コラム
落書きはじめ、デザイン、創作物に関して実質幼少期まで遡ると、図工からになるんだろうと思う。
小学校低学年時に作った自由作品の絵に対し、
「メイン絵と背景の境界線をはっきりさせろ」という先生の指導に対して
主線を用いらず、背景色を極力薄くしメインを濃くべた塗した作品。
翌日登校するとメイン部分に押し付けるように黒で主線を強制的に書き込まれていた自分の先品を目にした時、知識のない子供ながら認識の違いに憤り怒り「なんてことをしてくれたんだ!」と先生に食ってかかったものの、「あなたが言うこと聞かないからよ。」と一蹴され悔しいと思った。
完全にやる気をなくした作品への興味は無かったし、ひどいものだった。
ニス塗し、完成した作品を持ち帰る際、投げつけ、破壊し、自宅の焼却炉へ葬った。だが、この時の作品は世になくとも、記憶に鮮明に残っている。
生涯忘れる事のでき無い作品である。
この頃から既に単なる授業の一端ではなかったんだと思う。
それ以来、様々なものを観察するようになった。
高学年には図工の授業も写生しに行った先でクラスメイトはそれなりに書いている中、一人1時間で謎の線と曲線波線が数本。
その時の先生に怪訝な顔をされたのを覚えている。
二回目からは手が早かった。今でいうところの完成に近い粗いラフ。
三回目にしてようやく下書き完成。色塗りは教室でだったので、思いっきり薄く溶いた水色で全面一色で染め上げたとき、回ってきた先生に
「これ何してるの?これからどうするの?」と問われ、「空と、奥の色を塗ります。」と言って黄色を薄く塗り始めたとき「おもしろいね」と言われた。
未だに良く判らない感想だったが、次の図工の時間からしょっちゅう覗かれては「今何してるの?」「○○塗ってます。」と会話する事となった。
夏休みの自由研究で作った竹細工のシンプルな貯金箱の理科展選出、小学校の版画、水彩画、標語のポスターの受賞。
中学美術は先生自身が個展を開く程の先生だったため貪欲に学び、絵画作品、ちぎり絵を作る授業では度々「先生この色の紙足りない」と言っては貰い。
出来上がった作品を見て「ちぎり絵…間違ってはないね…うん。」で何故か展覧会出展、部活で作った好きなアニメイラストのパズルの展示、針金オブジェ作品の展覧会出展。木工彫刻作品出展。過去の作品は度重なる転居や結婚で失われたが思い出の中には存在する。
中学の美術の先生には未だに時折会う。
商業高校に入学し、商業美術等を学び、古文の先生に依頼されて資料教材に用いる挿絵を描き、修学旅行パンフレットの挿絵を描いたりしていた。
この時点で仕事になる、引き受けるという意識にシフトしていった。
勿論報酬は商業高校ならでは、商業美術イラスト部副部長の名を盾に部への依頼として引き受けて先生のポケットマネーで部活の備品購入していただいた。
体育祭ではバックパネルをデザイン担当となり、部活仲間3長がバラけた。
部長はボタンの花を風で揺れるよう立体で作成し、平面画と組み込む手法。
会計部長は2枚分を書き演出で1枚目をはぎ取り2枚目へと転身させる手法。
私は1枚絵一択。平面画なのに遠目で見ると3Dを見ているような目の錯覚を利用した手法。三者三様の手法で評価され、こんなことした人たち居ないよ?!とある意味伝説になった。
だがしかし、ここまで書いておいてなんですが、基本中高運動部で体育会系右ひざ関節壊すまではグラウンド駆けてたので、掛け持ちだったのはご愛敬である。

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