アム・ハー・アーレツになって見れたもの

記事
コラム
富山県のある王国会館速成建設の前工事、大工工事の現場にずぶの素人として参加して、
その惨状に驚愕しました。
連日工事が遅れて、夜8時9時までの残業。
そして翌朝7時からまた夜9時までの残業。
終わらない。
ツーバイフォー工法という北陸では職人自体少ない工事をわかる人がいないから、
素人に大工工事をさせるから、よく工事がストップする、進まない。
どんどん疲労が溜まる。
何とか木曜日のQBに間に合わせて、で、やっぱり人が足りないから日曜日の完成まで出る。
これ、お給料出ないんですよ…。
信者の家に民泊して、洗濯も下着以外かしてもらい、食事も出ます。
でも、奴隷労働でしょ?
でも、わたしは喜んでやってました。
「エホバのために過労死するなら本望だ」
マジでそう考えていました。
馬鹿でしょ?
洗脳って怖い…。
毎月1週間、2棟繋がったおっきな王国会館だと2週間こういう日々が続きます。
素人が何人も船頭をやってしまう、効率の悪さと、あまりの不器用さにたまりかねて、
わたしは知り合いの大工さんの紹介で金澤でツーバイフォー工法をやっている工務店
(社長の奥様が信者)に弟子入りすることにしました。
やがて建設奉仕でない他の2週間は週6日仕事をして大工の技術を身に着けました。
高価な道具も、車も揃えました。
あまりの人手不足のために開拓者は建設奉仕の時間を伝道時間として報告してもよい、
という特例が出ましたので、開拓者の身分のまま、地元の会衆では「幽霊信者」のようになっていました。
まず、伝道(布教)には顔を出せません。日曜日は疲労困憊で集会が精一杯です。
そして、その、絶対に休んではいけない集会も建設奉仕だったら休むことを許されるのです!
ですから、建設奉仕に行ってるときは、金澤の工事でも集会に来ないことがしょっちゅうです。
で、仕事の日は午後6時に現場を出て、午後7時の集会に顔を出すのが精一杯で、遅れたこともあります。
高速道路を使える現場では自腹で高速代を払って集会に向かいました。
よく事故起こさなかったな…。
事情をよく呑み込めない信者も、長老も、
わたしの「霊性が下がった」(信仰が弱くなった)と思ったようです。
建設奉仕に関係のない信者には、理解できないんです。
集会を休む、伝道に月一回も顔を出さない。
なのに、開拓者って…。
それは信仰の弱ってきて集会を休みがちになる信者と変わらないように見えるんです。
「兄弟(男性信者のことをこう呼びます)、どうしたの?」
ガチで心配されます。
「イエスは大工からメシアになったのに、兄弟は逆ね」
そんな嫌味は飽きるほど聞きました。
長老からは集会後何度も呼び出されて建設奉仕を減らすように要求されました。
建設奉仕現場の惨状を知らないからです。
要領のいい信者は自分の評判を落とすことまでして建設奉仕をしないので、
人手不足はいつまでも解消せず、ごく限られたお人好しなメンバーで回すのです。
RBCの委員も、そんな無理してまで来なくていい、って地元の長老に言うので、
はしごを外された状態でした。
建設奉仕者の間では、当時ものみの塔研究の記事で、
パリサイ派のユダヤ教指導者が、庶民を「アム・ハー・アーレツ」と侮蔑していた事を扱ったので
自分たちを卑下して「アム・ハー・アーレツ」と呼んで慰めていました。
わたしもその一人です。
やがて、伝道をしない開拓者であることに良心が咎めて
自らの判断で開拓奉仕を降りました。
米國では開拓者と対等に建設奉仕者という身分があり、尊敬されてると聞いたからです。
やがて、地元の長老との意見の違いやもともとこの会衆で浮いた存在だったこと、父の自殺未遂騒動などでストレスがMAXになり、環境を変えたくなって、
きちんと地元の長老に相談せずに勝手に新潟市の会衆に移ってしまいました。
これで、RBCによって辛うじて保護されていた立場を喪いました。
当時「奉仕の僕」(長老の見習)だった立場も喪い、
それで余計にアム・ハー・アーレツ状態、勝手に引っ越してきた兄弟として見られることになりました。
やがて、RBC委員であったのですが、伝道に行かないわたしを毛嫌いした長老により、
建設奉仕自体行けなくなってしまいました。
辛くて、富山県でツーバイフォー工法をJWだけでやっている会社のある土地へまた遁走しました。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す