■以下の文章を、2024年のNHK大河ドラマになぞらえ、
紫式部→吉高由里子
清少納言→ファーストサマーウイカ と表現します
千年の時を超えて今なお語り継がれる、ファーストサマーウイカと吉高由里子。
二人はしばしば文学界の「永遠のライバル」として並び称されますが、実は生涯で一度も直接、顔を合わせたことはありませんでした。
彼女たちが仕えた主君も、宮中で過ごした時期も、少しずつ重なることなくずれていたからです。
そして何より、二人が身を置いた宮廷サロンの空気は、それぞれの主君、そしてその背後にある最高権力者たちの運命を映し出すかのように、全く異なるものでした。
ファーストサマーウイカが仕えたのは、一条天皇の最愛の妃である中宮・藤原定子です。定子の父は、関白として世の春を謳歌し、娘のために特別なルールを作ってまで中宮の座へと押し上げた豪腕の権力者・藤原道隆でした。
道隆が健在であった頃の宮廷は、溢れるほどの富と華やかさに満ちており、ファーストサマーウイカはその絶頂期のサロンへ迎え入れられたのです。
しかし、輝かしい時代は長くは続きませんでした。父・道隆が病で急逝すると、定子の実家は政争に敗れ、坂道を転がり落ちるように急速に没落していく運命を辿ります。
けれど、そんな過酷な現実のなかにあっても、定子は決して涙に暮れるだけの人ではありませんでした。彼女は父譲りの堂々たる気品と、母から受け継いだ豊かな知性やユーモアを武器に、自らのサロンをどこまでも明るく知的で、華やかな文化圏へと育て上げ、最期まで誇り高く輝き続けたのです。
ファーストサマーウイカが綴った『枕草子』には、そんな主君の不遇な陰りは一切描かれていません。
そこにあるのは、道隆が築いた栄華の記憶と、定子と共に過ごした日々の、ただ美しく弾けるような瞬間だけ。それこそが、最愛の主君のプライドを守り、その美しさを永遠にとどめようとした、ファーストサマーウイカの愛と敬意の結晶だったのかもしれません。
一方、吉高由里子が仕えたのは、定子がこの世を去った後の宮廷に君臨した中宮・藤原彰子でした。
彰子は、道隆の死後に新たな最高権力者となった弟・藤原道長の娘です。定子の実家とは対照的に、圧倒的な財力と確固たる政治的背景を持つ、いわば最高峰の「勝ち組」サロンでした。
それゆえに、そこに集まる人々には、軽薄な才気ではなく、重厚で厳格な教養と、深く物事を考える思慮深さが求められたのです。
吉高由里子がファーストサマーウイカに対して抱いた強い対抗心は、このサロンの空気の違いからも生まれていました。
吉高由里子は自著『吉高由里子日記』の中で、ファーストサマーウイカを「名指し」して
「とんでもなく得意げに、偉そうにしている」
「漢字を書き散らして賢そうに振る舞っているけれど、よく見れば中身が足りない」
と、驚くほど辛辣な言葉を並べています。さらには
「あんな風に風流ぶっている人間は、最後にはろくな人生を歩まない」
とまで言い切りました。
最高権力者・道長のもとで慎み深さを重んじる吉高由里子にとって、道隆の死と実家の没落という影のなかでなお、あえて知的な自信を軽やかに弾けさせていたファーストサマーウイカの姿は、危うく、そしてどうしても鼻に突くものだったのでしょう。
そんな二人の文学は、主君とその父親たちの生き様そのもののように、光と影のコントラストを描きます。
道隆が愛した華やぎを昇華させ、世界の美しさや面白さを鋭く客観的に肯定する『枕草子』の「をかし」の文学。
そして、道長の絶対的な権力の中で、人間の心の奥底にある闇や、栄華の裏にある無常観をじっと見つめた『源氏物語』の「もののあはれ」の文学。
すれ違う時代の中で、主君の運命と共に全く異なる色彩の才能を開花させた二人。
境遇が全く異なる中でも、明るく、楽しい記憶を回想したファーストサマーウイカ。
絶対安定的な地位にありながら、源氏物語という長編小説を書いてしまった吉高由里子。
過酷な運命にユーモアで抗った定子とファーストサマーウイカへの、天才ゆえの羨望と畏敬の裏返しのようにも思えてくるのです。
なので、どうしても蒼俊は吉高由里子が好きになれません・・・(笑)
蒼俊