先日、友人から「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の舞台を見に行ったと言う話を聞いた。
自分は小学生の頃図書室の本をしばしば読んでいて、中でも赤川次郎と村上春樹を好んで読んでおり、その中に上記の作品もあったと記憶している。
そのため、今その作品の舞台をやっているというのにいささか驚いた。
その友人から簡単に内容を聞いても、そんな内容だったっけ…と全く覚えていなかったのと、内的世界の話だという話だったのに興味を覚えて読み直してみることにした。
読み始めてすぐ、村上春樹作品の独特の世界観に久々に触れて、あーこれこれ、これだわ、と懐かしさを覚えた。
シニカルとも厭世的とも少し違う、根底に絶望と、さらにそれを包み込む愛の気配が薄くしかし確かに拡がっている感覚がある。
それは自分をなんとも言えないところに運んでいく。
そして今日読了して、このなんとも言えない物語の結びも、はいはいはいこんなんだった気がするわと、絶妙に覚えのあるモヤ〜っとした空気を体感した。
内容はほとんど覚えていなかったが、読んだ時の感覚だけは記憶に刻まれていたようだ。
ただ今回、明確に違和感を感じる箇所があった。
それは「絶望と至福は表裏である」というような内容の言葉だ。
あるいはそれはミスリードとして発された言葉で、自分がその意図を汲みきれていないのかもしれないが、言葉そのままにとれば、それは物質的で表面的な至福においては正しく、真理とは遠いものであると思う。
あー…今書いてて思ったけど、だからあの展開になったのか…?
だとしたらやはり一般論によるミスリードだったってことかぁ。
なんかその方向で考え出したら納得しちゃった(笑)
小学生の時謎のまま終わった物語に、自分なりの結論を出せたのは成長ですね👍
解釈はさておき読み物としてとても面白いので是非読んでくださいませ。
さて、解決しちゃった(笑)けど、上記疑問について考えていた時に浮かんできたのが、「悲しみ」というもののイメージが自分の中では、ロマ音楽なのだ。
とても深い悲哀と、それを内包した愛、というものを覚える。
多分近めの前世さんがそっちの人とかみたいで、コンサート映像とかで踊ってる観客を見て号泣するくらいには自分の中に大きくあるもののようだ。
さておき、そこで思い出したのが、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの「悲しみ、深い悲しみ」という曲だ。
ただの自分のイメージだが、上記の悲哀と包み込む愛をひしひし感じる。
Band of Gypsiesというアルバムに入っててApple Musicにもあるのでオススメ。
で、ここからが本題なんですけど(笑)、当然歌詞とか全くわからんので、せっかく思い出したから調べてみるかーと思って
「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス 歌詞」で検索してなんかないかなーとスワイプすると…
「村上春樹」の文字が
…??
なんか調べ間違えた?
と思ったが、それは確かに村上春樹とタラフ・ドゥ・ハイドゥークスという文字列が同居する記事だった。
…こんなことってある?ww
記事は村上春樹さんのラジオでボブディランを扱う回で、ボブディランのカバーをタラフ・ドゥ・ハイドゥークスがしたものについてだった。
こういうレベルのわかりやすいメッセージは久々だったので、安心させてくれてるなぁと笑ってしまった。
種々雑多で繋がりの見えない経験は、自分の思いもかけないところで繋がるもので、そのことを示唆して、安心していいよーと伝えてくれた。
久々と言ったが、自分が欲しがってるだけで(笑)、そういったメッセージはたくさんもらってるんだよね。
ありがたく受け取って、安心の中で前に進めていこう。感謝。