もっと

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コラム
「もっと」って気持ち、ありますよね。
その「もっと」は、どの「もっと」ですか?

自分が思いつくのは
・飢餓
・責任
・欲求
の3パターンです。

まずは飢餓。
これは読んで字のごとく、飢えています。
満たされない何かを埋めるための手段。
しかしそれを求めても満たされないため、永遠に求める事になる。
根本を見る事が出来なければ、その無限ループに苦しむ事になります。
このパターンについては今回は書きません。

次に責任。
これが非常にやっかいで、最後に挙げる欲求と誤認しやすいのです。
でも自分にかかる負担はハンパないので、自分の考えで求めているはずなのに、辛く苦しく、やり続ければその重みで押しつぶされてしまいます。
多くは職務上こうあるべき、こうでなくては、という重圧によってやろうとするものの、成果が出ない、もっとやらなくちゃと上司からのプレッシャーもあってやってみるけど、どうにもうまくいかない、というようなものです。
あ、もちろんそれをうまくこなせる人もいます。
そういった人は気持ちに無理がこないなら、特にそこで問題は感じないと思います。
でも責任が増していって、求められるものが大きくなった時に、果たして自分からの欲求でないものに、そこまでのキャパシティを割けるのか、というと、なかなか難しいところがあるかと思います。

最後に欲求。
これは「もっと」の本来の姿だと思います。
他人から言われる事ではなく、自分がそれをやりたい、という気持ちのままに行動する事。
その対象はなんでもいいです。とにかく熱を入れられるものです。
気を付けたいのは、最初に挙げた「飢餓」にも熱は入れられるという事です。
めちゃくちゃ熱中して楽しくゲームをしたとして、あるいは仕事を一生懸命やったとして、それが他人からの評価を得るためとか、他の何かからの逃避や代替手段であったりした場合は、残るのは虚しさであるかもしれません。
欲求の形の例としては、技術的なもの、スポーツ・楽器の演奏・仕事の技術や知識の習得など、もっと知りたい!もっとやりたい!もっともっと!という、時間も忘れて取り組める状態です。
仕事で言うならば、技術的専門職を志す場合、そういう感覚が持てないなら、その職業はあまり向いていないと言えます。
よく聞く話ですが、それをやる事自体が好き!という人とそうでもない人で、技術の習得には歴然とした差があると言います。
それを仕事にしたいなら、寸暇を惜しんでやりたいものを選ぶのが効率が良いのは明白です。
そういったものがない場合は、わざわざ専門職を志す必要もないので、自分が楽しいと思える事が含まれている職業を色々試してみるのが良いと思います。
あと無趣味な人とか、やりたい事とか別にないという人は、実はすでにやりたい事やってたっていうパターンもありますが、多くは絶望しているんです。
どうせ私なんてとか、やったところで、みたいな、あまり良くない諦めの気持ちから、チャレンジをしなくなっているケースがとても多いです。
ちょっとでも気が向いた自分のその気持ちをキャッチしてあげて、とりあえずやるっていうのが出来たら、世界はいくらでも開けていくんですよねー

めちゃくちゃ話が逸れましたが、自分の混じりけのない欲求の形をとらえてあげると、自分にとってとても有意義な「もっと」に出来ると思います♪
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